C.A.P.10th-証言:的場健太郎

私は小さな頃から工作が大好きで、高校時代から高価な工作機械を購入したり、センサーや電子部品を組んで電子工作などを趣味にしていました。大学に入ってからも、彫刻を専攻していたこともあり、友人の手伝いやアルバイトなどで、人の作品の設計や施工などを請け負う事が度々ありました。
CAP HOUSEへは、友人に会いに遊びに行ったのですが、2度目の訪問時は偶然にも会議中でした。会議の邪魔をしてはいけないと思い、すぐに立ち去ろうとしましたが、会議に参加しているメンバーから突然呼び止められました。恐る恐る入ってみると、何故かやけに歓迎され、頭の中は“???”が回っていました。よくよく話を聞いてみると、CAP HOUSEに、メンバーが共同で使う“工作室”を設けたいとの事でした。その話の中で、私の友人が、機材を豊富に保有しており、技術もある私を、工作室の技官として推薦してくれたとの事でした。
当時のCAP HOUSEは、備品などはまだ少なく、たくさんの廃材などの不要なものがあちらこちらに散乱している状態でした。その廃材を引っ張り出してきては机や棚を作ったり、壊れた工具や機械を探してきては、CAP HOUSEの備品としてつかえるように修理したり。壁や天井などを張って撮影用のスタジオを建てたり・・・。なんとなく西部開発時代の開拓者のような気分であったのかな?とも思います。CAPとしての活動も、”実験的な○○”といった言葉が多く使われ、CAP自体にとっても開拓時代だったような気がします。