C.A.P.10th-証言:落合治子
 
アサヒビール大山崎山荘美術館 学芸員

美術品担保融資という、バブルの最後の泡をかろうじて体験する部門から社会生活をスタート。2001年より、アサヒビールにて、企業美術館の企画広報宣伝担当学芸員。企業の中で危うい価値感の上にあるアートは、真っ先に経費節減の槍玉にあげられることが多く、メセナの位置付けも脅かされている昨今。修行と苦悩の日々は続きます。

1)CAPの活動に参加した当時のCAPの様子
 月に一度、高砂ビルの杉山さんのアトリエで、ミーティングを開催。石黒敦彦氏の講演会、CAPARTY Vol. 7 「観光-なんでもない一日」展。ガイドブックの作成・・・。そしてCAPHOUEへと。
 アイディアが、次々とかたちになっていくスピードも、当時のわたしにとっては驚きの連続で(今でもですが)、動ける人がその時の主要メンバーというスタンスはとても新鮮でした。
 
2)CAPに参加した(メンバーになった)動機
  震災前 「旧居留地ミュージアム構想」から、CAPの存在は知っていたのですが、その実態はよく分からないままでした。そんな中、アートポーレーンにはぜひ!と意気込んで・・・開催前日に居留地に行くという大失態!当日は結局仕事でいけずじまい。
 何かの折に、その話を山盛さん(朝日新聞記者)にしたときに、誘われて初めて伺ったのが1997年高砂ビルの杉山さんアトリエでのクリスマス会。そうそうその時に山盛さんが「とよのかイチゴ」を持参してらしたのを思い出しました。
 今思えば、高砂ビルとその時の映像やひょうたんの音色。あの不思議感とわくわく感が参加のきっかけとなったような気がします。