2013年7月26日

7/21 シュゲイもいよいよ箱物作りへ!?!

「カフェ・デ・シュゲイ〜布箱づくり」【要予約】

2013年7月21日(日)13:00~16:00
手芸の先生:チェリー
会場:CAFE&SHOP y3
参加費:¥2,000(材料費+1ドリンク付き)
持ち物:綿100%の布(50㎝×50㎝位)、洋裁用ハサミ、定規

ヨーロッパの伝統的な布箱技法「カルトナージュ」を習います。
作り方を覚えて、アクセサリー入れや、プレゼント用にと自分流にアレンジして楽しんでみてください。
さて今回のカフェ・デ・シュゲイは布箱づくり。
どうやらヨーロッパでは古くから作られている様ですが、日本ではどうなんでしょう。
その昔を思い出すと、クッキーの空き缶に針山だの糸巻きだの、裁縫ばさみまで突っ込んであった。
あー、やっぱり昭和だな〜って。
そんなもので兄貴とお揃いの服を作って大阪万博に連れて行ってくれたかーちゃんは強者だった。
そんな記憶はあってもオシャレなカルトナージュなど無縁の存在だったような...昭和40年生まれ



しかしココは神戸。
ハイカラです。←だからそれが昭和だって?
しかもチェリー先生と言う心強い味方がいます!要受講料、わわっ
なので今回も大船に乗った気持ちで大作を作ろうではありませんか!
ご覧のように先生のタイミング良い適切な説明により、作業もスムーズに進みます。



あー、作業は地味です。いや、じみちです。
要所要所で写真を撮りに行きますが、作業の進みが無いように見えます。
それもそのハズ、どの部分も切って貼って切って貼ってですから...ああ、納得。
ただ細かいです。
これは技巧的なセンスより忍耐力を要求されるのでは無いでしょうか。
まあどちらにしても慎重に作業を進めます。
ワタクシは、丸い箱作るつもりが四角になりました先生!みたいな事にはならないよう祈ります。笑



そうこうしてるうちにちょっとずつ出来てきました。
厚紙で箱を作るのも慎重ですが、そのあとの布張りはもっと真剣です。
ひまわりの花びらみたいに切って折り込むと、隣同士が干渉しなくて奇麗に貼れます。



よく見ると皆さん巧妙なテクニックが駆使されています。
左の底箱はエッジが効いてますが、右のフタ箱は緩やかに盛り上がっています。
中に薄くワタが入っている様ですね。
ほー、作業の進みが無いとかなんとか、すいません。
細やかに手が入っていた訳ですねー、いやはや。



すべての厚紙は丁寧に布で折り込まれて行きます。
箱、それぞれのパーツが次々に出来てきます。
それぞれが出来上がると組み上げは早くあっと言う間に完成してしまうので、そこは気持ち良い。



出来た!



出来ました!



上出来ました!



出来すぎましたーーー!



そんなこんなで次々と完成!
しかし今回はお洒落過ぎたのでは?笑
カフェ・デ・シュゲイの皆さん、お疲れ様でした!

Posted by 鳴海健二 at 15:52 | コメント (0)

2013年7月20日

7/19 あらためて聴く「作品」のもと!

トークの穴2013
「作品を作り出すまでのこと~ヒントと閃き~」

2013年7月19日(金)19:00〜
話者:中澤雅子(陶芸家)
会場:CAFE&SHOP y3
参加費:¥1,000(1ドリンク付)
私にとって作品のヒントは日常の生活や出来事に転がっている。作品が出来上がるまでのアイデアや閃きのお話をします。
本日の話し手はナカボンこと中澤雅子さんです。
ナカボンは陶芸作家なので作品は焼き物が多いです。
焼き物と聞けば「うつわ」を想像しがちですが、出来上がる作品はオブジェと言われる物です。
キッチリとつくられるそれは人の様な、臓器のような、動物の様な、って表現がわかりやすいかも、です。



そんななんとも言えない作品の発想はどうして生まれるのか!
興味津々な方々が集まられました。
こればっかりはよくよく聞いてみないと。
頭の中の洗いざらいを聞いてみようということです。



机の上には制作思考の糸口になるであろう様々な資料が並んでいます。
その中には勿論ポートフォリオもある訳ですが、改めて見直してもなんとも奇妙な物に見えるのではないでしょうか。
ただ、気持ちはわかります。なんとも言えない造形の魅力は逆にわかりやすいです。
それほどの完成度をもってリリースされているからでもあります。
皆さんの知りたいのは「それを何故表現したいのか」の一点に集中しています。あ、ワタクシだけかな。



小さい頃、きれいなネズミをみつけた。
そのネズミの背中はものすごくスベスベで深閑としていて美しい。
この美しいネズミを友達に見せたところ、「これ死んでるよ」と。
ある事情で祖母の棺が長いこと部屋に置いたままだった。
ドライアイスで霜がつくその寝顔を拭くのが日課だった。
体罰先生がムチを打った直後に少しゆるむ口元。
その隙間からかすかに見える歯に付いた口紅、幼心にも冷ややかさを感じた。
そんな体験も心情もクールにならざるを得ない過去から、発想が大きく関わっているみたいだ。
ん〜、なるほど! え、なるほどか?...



ナカボンのノートも拝見出来ました。
分厚い白紙帳をいくつか繋いでフェルトの表紙で覆われた手作りノート。
このノートの作りも自由だが、書き込み方はもっと自由だ。
好きな時に、好きなページに、なにを書いてもいい。
ダブったページであれば上書きすればいい。
なんともノンストレスなノートだ。
そんなノートが面白くない訳が無い。



そしてこちらのテーブルには様々な物が置かれています。
これは一部らしいが、家ではこの様な物がギュッと置かれているとの事。



身の回りは不協和音でいっぱいの様に見える。いや、本人はそうでもないのか。
でも集めてしまう。
これらの繋がりなど毛頭考えない。
ただ気に入ったら手元に置く。
「それを置く意味は?」などと言う次元に生きてはいない。



手元に置きたいと思ったら何度でも足を運ぶ。
これに?って物でも関係ない。
ただ、この辺の思考回路は本人も理解不能との事だ。



そんな日常を写真で切り取りfacebookにどしどし上げているとの事。
結局の所、自分自身の体験・思考が少し興味深い、が表現のきっかけではないでしょうか。

と、まあ、そんな感じのトークでした。
あー、結構楽しめたなぁ、レポートもちょっと風潮ぎみになってしまったけど、なかなか面白かったです!
久々にストレートで飾りが無く素直に聞けるお話し会で大満足でした☆

Posted by 鳴海健二 at 16:57 | コメント (0)

2013年7月14日

8月のカフェ・イベント・プログラム


「ART × T-Shirt アーティストのつくるTシャツたち2013」

2013年7月26日(金)〜8月31日(土)
 10:00〜19:00(月火曜休)最終日は17:00まで
 会場:CAFE&SHOP y3
 *8/12(月)〜8/20(火)はカフェ夏期休業

今年も色んなアーティストたちがたのしいTシャツを作りました!あつーい夏を、カッコいいTシャツを着て満喫しよう!

●関連ワークショップ
マスターのコーヒーで布を染めて、エコバックを作ろう!【要予約】
 電子メールでご予約下さい。
 8/31(土)11:00-16:00
 
 講師:藤川怜子(造形作家)
 参加費:2,000円
 定員10名



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カフェトーク「これまでと、これからの作品について」
2013年8月28日(水)19:00~
話者:柴山水咲(美術家)
参加費:無料(要1ドリンクオーダー)

自己紹介も兼ねて、これまでの作品とこれからの構想について、お話しします。
Posted by 鳴海健二 at 16:40 | コメント (0)

2013年7月11日

7/7 七夕は遠足と密談で決まり!

「透明な奥のほう」
2013年6月23日(日)〜7月13(土)
参加作家:淺野夕紀、上村亮太、桜井類、田岡和也/片山和彦(GALLERY wks.
10:00〜19:00(月曜休)/最終日は17:00まで(GALLERY wks. 12:00〜19:00/日曜休/土曜は17:00まで)
GALLERY wks.とCAP STUDIO Y3で同時に展示を行う展覧会です。
これまで長い間、アートに関わってきたwks.とC.A.P.にとってもはじめての試みになります。

■オープニングアクト「作るコト←→見るコト」
23日(日)17:00〜18:30/参加無料
話者:淺野夕紀/上村亮太/桜井類/田岡和也/片山和彦/そして皆さん

■CAPリコーダー部ライブ 「聴くコト←→見るコト」
29日(土)17:00〜18:00/会場:GALLERY wks./参加無料

■七夕の遠足「歩くコト←→見るコト」【要予約】
7月7日(日)/GALLERY wks.に13:00集合、CAP STUDIO Y3で17:00頃解散/参加無料(交通費要)
田岡和也と片山和彦の引率で遠足してみませんか。写真やスケッチもどうぞ。参加特典もあります。

■七夕の密談「作るヒト←→作るコト」
7月7日(日)18:00〜19:00/話者:上村亮太と片山和彦(wks.)/参加無料(要1ドリンクオーダー)

今日は展覧会「透明な奥のほう」のイベント2つが催されました。
大阪のGALLERY wks から CAP までの「遠足」と、到着してからのトーク「密談」です。
片山さん(wks)と田岡さん(CAP)の引率でcap cafe y3まで、そして上村さん(CAP)へつながりトークがはじまります。



GALLERY wksの片山さん、ギャラリーでの展覧会、催しなどお話しをして頂きました。
上村さんも前からよく知っているとのこと。長いつきあいなんですね。



そんな片山さん(GALLERY wks.)のことを初めて知った方もおられますが、良いきっかけになったのではないでしょうか。
みなさまも大阪へ行ったときには是非立ち寄ってみてはいかがかな。



こちら「奥のほう」メンバーのひとり、浅野さんです。
本日のトークに合わせてなにやら特製スイーツを制作しています。
彼女は4階階段広場のスペースにて展示中ですが、そのモチーフに似た白玉が出来てます。
手作りマンゴーシャーベット(秘密入り)にヘニョロロ白玉が乗ってミントでお洒落な事になってますが...



仕方ありません。ここはまたまた「奥のほう」メンバーの桜井さんが武士の一文として食べてみます。
その姿見届け役の高橋さん(CAP)がうっすらと笑みを浮かべているのが不安です。
が、大変美味しいくいただいており、厨房スタッフもホッとしたとかしないとか笑
浅野さん、サポートの大見さん、夏の絶品アートスイーツ有り難うございました!



先ほど大阪のGALLERY wks から CAP までの「遠足」で引率された田岡さん。
こちらも「奥のほう」メンバー、CAPの4階ギャラリーで展示中です。
田岡さんの作品はいつもながら田岡カラー(勝手に命名)で彩られています。
田岡カラーは一発でわかります!ぐらいの勢いがありさすが。
今回の展覧会は催しが多く、大いに楽しませていただき会場に来られている皆さんも大満足そうです。



そして普段は寡黙な上村さん、しかし今日はそれどころではありません。
今までの制作についての姿勢など興味深いお話しをたくさんされました。
むかしの粋がっていたり生意気に見えるスタイルのお話し、みんな若かりし頃の無頓着な青年期を送っているのでしょうが、
上村さんもまたしかり、と安堵したのはワタクシだけではないでしょう。



そんな上村さんにはやはり、tomoさんこと杉山知子さんにちょっと一言お話しして頂きます。
上村さんのことは昔からよく知っているだけに厳しい意見など出るのかな、なんて思いましたが
そんなことはありません。
作品についてはともかく、CAP HOUSE時代(〜6年前)からみんなとお昼ご飯食べてても、
ササッとアトリエに帰っちゃうもんねぇ、なんてお話しも。
いやぁ〜、シャイなんだなーって。



真ん中に写っている桜井さんも4階で展示中。
倉庫から引きずり出されたガラクタ・備品・その他もろもろを面白くレイアウトされ異空間になってます。
そんなギャラリーも今週末まで。まだ観ていない方はいまのうちにご覧下さい!

☆今日は「透明な奥のほう」メンバーによる楽しいトーク有り難うございました☆
Posted by 鳴海健二 at 17:53 | コメント (0)

2013年7月 7日

7/6 「気持ちいい音楽論レポート」

カフェトーク「きもちいい音楽論」
2013年7月6日(土)15:00~
話者:秋吉康晴(聴覚文化研究)、高岡智子(映画音楽研究)、太田賢佑(司会)
会場:CAFE&SHOP y3
参加無料(要1ドリンクオーダー)

こ こ10年ほどのあいだで「音楽に癒される」という言葉を私達はよく耳にします。何気なく日常に浸透している「きもちいい音楽」は、いったいなんなんでしょ うか。映画音楽研究者と聴覚文化研究者からのお話を手かがりに「きもちいい音楽」についてみなさまと考えてみたいと思います。

※ダイアローグ・カフェの太田 賢佑さんよりレポートが届きました

「気持ちいい音楽論レポート」於芸術と計画会議
2013年7月6日 於C.A.Pカフェ
太田 賢佑(ダイアローグ・カフェ)

「なぜ気持ちいい音楽か?」
この度、C.A.Pカフェにて「気持ちいい音楽論」というタイトルでトークイベントを行い ました。このようなタイトルでトークを行おうと思ったきっかけは、川田都樹子、西欣 也編『アートセラピー再考――芸術学と臨床の現場から』(平凡社、2013年)に収められ ている高岡智子さん(映画音楽研究)の論文「音楽療法の萌芽――「傾聴する音楽」から 「機能化する音楽」への転換――」でなされていた議論からでした。そこでの議論では、 おおまかにいうと「音楽の機能」について論じられています。例えば、20世紀初頭のアメ リカにおける大衆社会の到来をきっかけに、音楽は労働効率の向上を目的として社会のな かで機能したという否定的側面を指摘する一方で、当時の音楽心理学や教育学おいて現代 の音楽療法につながる有益な実験および実践を紹介し、音楽史のなかでこれまであまり語 られてこなかった肯定的側面を提示しています。このような指摘は、音楽療法の萌芽のみに留まらず、現代におけるわたしたちの生活において何気なく浸透している「気持ちいい 音楽」の背景を考えることの重要性に気づかせてくれました。というのは、「気持ちいい 音楽」には、音楽を気持ちいいものとして受容させるプログラム(音楽の機能化)が働い ているからです。というわけで、現代における「気持ちいい音楽って何?」という素朴な 疑問を高岡さんに聞いてみようとゲストにお招きしました。

そしてもう一人、高岡さんの議論からさらに拡げて現代の「気持ちいい音楽」を考えるた めに、現代の音楽に密接に関わっている背景――録音技術、聴取のあり方、テクノロジー など――に精通している音(楽)の研究をされている方を招く必要がありました。そこで この度ゲストスピーカーとして聴覚文化研究(メディア理論・美学)の立場から「声と録 音メディア、機械の声」に関する研究、あるいは、「都市と騒音」「聴衆の病」の問題に ついて考察をされた秋吉康晴さんを加えて、両氏に「気持ちいい音楽の背景には何がある のか」といったことをテーマにそれぞれお話をして頂くことになりました。

「気持ちいい音楽=癒しの音楽?90年代~2010年代」
さて、「気持ちいい音楽」とは、一体なんでしょうか。それは、言い換えれば「癒しの音 楽」であるともいえます。「癒しの音楽」といえば、日本において、1990年代にクラシッ ク音楽が「癒し」として聴かれるようになったり、あるサプリメントのCMで使われたイン ストルメンタル――後にこの曲が「癒しブームの火付け役」といわれることがしばしばあ ります――が、器楽曲としては初のオリコンチャート第一位になり、ちょっとしたブーム となりました。その後、インストルメンタルや録音された自然の音が「癒しの音楽」とし て受容され、メディアに大きく取り上げられていきました。以後、CDなどでこれらの音楽 を家で聴いたり、ヘッドフォンで聴いたりした方は多くいらっしゃるのではないでしょう か。 90年代の「癒しの音楽ブーム」から10年程あとに、これまでの受容とは少し違った「癒し音楽」を推奨するメディアもあらわれました。それは、ある雑誌で組まれた「気持ちいい音楽」という特集の内容から見受けられます。この雑誌では、「気持ちいい音楽」を色んな音楽関係者から推薦してもらって紹介したり、あるいはさまざまな都市のどこでココロを安らがせてくれる気持ちいい音楽が聴けるのかを紹介する内容となっています。ここでは、気持ちいい音楽=癒しの音楽は、仕事の疲れを癒すために、仕事帰りに気持ちいい音楽が流れているカフェやバーを紹介することによって、明確に「癒しの音楽」の受容の場所や文脈を提示しています。しかも、インストルメンタルや自然の音、クラシック音楽とはまったく異なるレゲエやボサノヴァなどの音楽を主に取り上げています。このことが示唆することは、「癒しの音楽」はCDなどで個々人で聴くだけではなく、カフェやバーといった都市のなかの空間において受容するという90年代の「癒し音楽」とは少し違った聴取の側面を垣間みせているということ、さらに「癒しの音楽」はジャンルをどんどん拡張していっているということです。以上のように、かなりおおまかですが、90年代から2000年以降の「気持ちいい音楽=癒しの音楽」の日本における受容の例を挙げてきました。

秋吉康晴さん「癒しという聴き方」
まずトークのイントロとして「気持ちいい音楽」を考えるために、「癒しという聴き方」って一体どういった聴取のあり方なのかを秋吉さんにお話してもらいました。そこで言及されたことは、ヒーリングミュージックというものは80年代くらいからリラクゼーションを目的として作られた音楽だったと。その特徴は、テンポがゆったりで、展開が単調、音の強弱が一定で、アンビエントが効いた持続した音楽であったのです。ただ今CDストアでヒーリング音楽のコーナーをみていると、そこにはヒーリングとして制作された音楽ではないもの――クラシック音楽、聖歌、民俗音楽――がジャンルとして収められている。そこからなんとなくわかることは、「癒しの音楽」はとにかく「癒し」が求められて色んな音楽ジャンルを取り込み、癒しのマーケットを拡張したのではないかということでした。そして、そのような「癒し音楽」の拡張は、そういった音楽の聴き方にいくつかの特徴を与えているように思います。まず、聖歌やクラシックなどがもっていた宗教的儀礼や集団の結束といった背景への無関心性がある。2つ目に、音としての響き、情動に働きかけてくるような音という感覚性を重視している。3つ目に、散漫な聴取のあり方、聞き流しの聴取といった音楽を全体的に統一したものとして聴くのではなく、ぼんやりと流しながら受容するような聴き方が特徴として挙げることができるのではないでしょうか。

「遍在する癒し」
「癒しの音楽」のあり方の特徴は、積極的に聴かれるものとしてあるのではなく、ただ流れている音楽です。例えば、BGM、エレベーターミュージック、環境音楽など。そういった音楽をプログラムしている側は、実は色々と工夫を施すように考えています。それは音を応用して環境を変化させるプログラムです。オフィスのBGMでは作業効率を上げるためにリフレッシュできるような音のプログラムされている。工場ではアップテンポなBGMがプログラムされている。病院では気分を落ちつかせるためにヒーリング効果のある音がプログラムされるといったように環境に応じて音のプログラムは変わっていきます。これらの音楽のプログラムの背景にあるものは、心身の科学に基づいた「管理」という着想があります。例えばそれは労働の苦痛の軽減であったり、快適なオフィスで仕事をする心地よさの増大だったりします。ただ「快適な環境」には、裏返せば合理的な環境へと変化させるという目的がつねにあるということは重要です。では、このような音楽のプログラムのあり方は歴史的にみてどこからやってきたのか。その辺りのことを高岡さんに聞いてみることにしました。

高岡智子さん「癒しの背景」
「癒し」が求められた歴史的な背景とはいったいどういったものだったのでしょうか。高岡さんの話では、20世紀初頭のアメリカのなかに現代の「癒し音楽受容」とつながる背景があるのではないかということでした。その当時の社会的背景を辿る前に、それがわたしたちの生きる時代とどのようにつながっているかの例として、1980年代における《アダージョ・カラヤン》の流行が挙げられます。《アダージョ・カラヤン》の流行は、当時バブル期だった日本においてディスコミュージックなどアップテンポな音楽が流行していた一方で、その対極として受容された社会的な背景があるのではないかということです。つまり、「癒し」が求められる背景として、そこには「癒し」の対極にある「なにかが」関わっている。そこで「癒しの音楽」は機能する。

「社会のなかで機能する音(楽)」

もう少し詳しく別の例で、音の機能についてみていきましょう。現代わたしたちの生活している空間では、音(楽)はあらゆるところで機能している。例えば、実用的に機能する音としてスマートフォンの音、信号機、電車の発射音などがあります。BGMでは、秋吉さんの話にもありましたが、病院や居酒屋、カフェ、スーパーなど購買意欲をあげる目的や落ちついた雰囲気を醸し出す音楽が流れたりします。環境音では騒音/ノイズといったものが挙げられるでしょう。このような町中に流れている音(楽)は、20世紀初頭のアメリカにおける大衆社会の到来にその顕著な起源が見出せそうです。さて、20世紀初頭のアメリカの大衆社会とはいったいどのようなものだったのでしょう。

「大衆社会の到来」
ここでは詳しく言及できませんが、主に取り上げたいのは1930年代あたりの当時の社会的背景です。そこでは時間の感覚が加速してゆき、フォードシステムというベルトコンベアー式の労働形式があらわれ、サラリーマンの誕生という労働者の増加が特徴です。こういった大衆社会の到来に音はどう機能したのか。例えば、チャップリンの『モダンタイムズ』のなかで、当時の労働場面と労働者を管理するのに音がどう機能したかを確認できます。このように労働者の増加に加えて労働環境内に機械が導入されたこと、それによる時間感覚の加速といった社会が到来したのでした。

「多様化する音楽」
音楽を社会のなかで機能させるために応用する着想は、例えば19世紀ロマン派音楽として「音楽=精神性」という結びつきからうまれたといえるかもしれません。当時の人々は勉強をしに音楽を聴きにいっていました。それこそが教養ある人の音楽の聴き方だと思われていたからです。そういった「精神性の向上」としての聴取の揺り戻しとして「社会に音を機能させる」という着想がでてきたのではないか。

「20世紀における音楽の社会的機能」
では20世紀初頭では、具体的にどういったものが機能を果たしていたのでしょうか。例えば、分かりやすい例で言えば、ミューザック(1934年)の出現が挙げられます。ミューザックは、1930年代にラジオが普及し、そこから流れてくるニュースなどの情報が労働の集中力低下につながると考えました。そこでそういった散漫な集中力を解消させるために、BGMという「聞き流す音楽」の配信を始めたのです。つまり、邪魔な音を消すために、気にならない音を追加するということを行ったのですね。このようなミューザック社の音の応用が現代のBGMへとつながったわけです。

「大衆社会に音楽心理学・教育はどう関わってきたか」
先に述べたミューザックのような音の機能とは別に、音楽心理学の領域で非常に興味深いことが行われていました。例えば、心理学者ケイト・ヘヴナーという人の研究が挙げられます。彼女は音楽と感情の関わりを普遍化しようとして非常に興味深い実験を行っています【※ヘヴナーの実験内容についてはここでは書ききれないので興味ある方は高岡智子、「音楽療法の萌芽――「傾聴する音楽」から「機能化する音楽」への転換――」をご参照ください】。一方、教育の方ではハープ奏者のヴィレム・ヴァン・デ・ウォールの活動が挙げられます。ヴァン・デ・ウォールは、海軍のハープ奏者として活動していました。その後、病院などの施設で現代のコミュニティ音楽につながるホスピタルミュージシャンとして活動を行いました。これは音楽療法の萌芽ともいえると思います。施設での音楽の応用、すなわち「音楽すること」は、コミュニティを形成し、精神的な病を抱えた人や社会からはみ出してしまった人たちを社会復帰させることに成功しました。こういった心理学および教育学的活動において、音楽は「管理」や「散漫な聴取」の機能とはまったく異なる機能をしたといえます。

秋吉康晴さん「ムードミュージック」
高岡さんの話だと「癒しの音楽」には、1930年代のアメリカにおける大衆社会の到来という背景があった。そういった社会背景において心理学がどのように関わってきたかといった話になってくると思います。秋吉さんは、30年代のミューザック以前に20年代に心理学の応用としてエディソンが考えたムードミュージックを挙げます。ムードミュージックが出てきた背景には、混沌化した都市があったと。そこで音楽は、ムード(気分)で分類されていきます。では、そういった混沌化する社会とは具体的にどういった社会だったのか?

「テクノロジーがもたらしたもの」
両大戦期間における特徴は、「マシンエイジ」、「狂乱の20年代」といわれるように、生活の象徴としてのテクノロジーを賞賛した時代であったと思います。ただ、その裏面として過密な人口、劣悪な労働環境、都市生活における疲労や神経衰弱が問題となった時代でした。そこでは集中力や労働意欲の低下、過度の疲労、不眠など不健康な生活を送るひとびとが大勢いました。その原因のひとつとして都市の騒音というものがあったように思います。ムードミュージックは、そのような都市の騒音から逃れるように受容されていったのではないかと思っています。現代における「癒し」の萌芽は、20年代のムードミュージックにも見出すことができるのではないでしょうか。そしてより重要なのは、ムードミュージックが受容された背景には、都市の騒音という問題を解消するために、騒音をどうにかするという着想ではなく、心地よい音楽を提供するサービスが心理学の応用も兼ねて現れたことであり、劣悪な環境のなかでも効率良く労働ができるように「癒しの音」を持ち出してきたんだということです。こういった着想は、劣悪な環境への不満をいかに抑圧するか、そしてひとびとをいかに管理するかといったことと密接に結びついていた。極端な話かもしれませんが、こういった「癒し」の背景を考えると、「癒しの音楽」はある種のマインドコンロールとしても機能していたのではないでしょうか。

「フリートーク:癒しを超えること、あるいは徹底して癒しを紐解くこと」
以上、秋吉さん、高岡さんに「気持ちいい音楽の背景には何があるのか」といったことを主題としてお話していただきました。ここからは、ご来場いただいた方々のご意見をうかがって、一時間ほどフリートークを行いました。そこで挙げられた意見では、個々人の経験と密接に結びついている聴取経験についてはどう考えればいいのか、「癒し」という言語の問題、音楽ジャンルとしての「癒し」は単にマーケットの問題なのではない等々ここでは挙げきれないほどのご意見をいただきました。確かに、これらのご意見についてもっと議論できれば良かったかもしれません。ただ、今回「気持ちいい音楽」が、実は両大戦期間にその萌芽がみられ、そしてそれは「癒し」といった心地良さげなものに隠されているもの、つまり音のプログラムを利用したコントロールが裏面にあるということを前提に両氏ともに焦点をあててくれて、それぞれ違った見解を導いてくれたことは重要だったと思います。高岡さんが指摘するように、ミューザック社の実践にみられるように労働効率の向上の背景には、大衆社会というものがあり、BGMなどがコントロールとしての「癒し」として機能してきた。ただし、「癒し」を超えたホスピタルミュージシャンなどの「音楽すること」の実践のように、社会に有益な音の機能をもたらしていた側面ももっと考えていかなければならない。そこに「気持ちいい音楽」の肯定的な側面を掬い取ることができるかもしれない。ただし、秋吉さんが指摘するように「癒しの音楽」のプログラムの裏面には、「管理」という機能もあるということは忘れてはならないでしょう。「気持ちいい音楽」を考えるうえで、「癒し」というマーケットがある一方、そのマーケットには姿を現さない癒しの極にあるような音の機能もあるという指摘は重要であるかもしれません。そのような音の機能とは、たとえばマインドコントロールとして機能したり、音(楽)による拷問へと結びついたりしている。「癒しの音楽」と「拷問の音楽」は、実は同じようなプログラムでつくられており、同じような聴取の構造をもっている。そして、それは戦場のような極限状態の場所で効率良く機能していること。そういったマーケットには決して浮かび上がってこない音(楽)についても考察していかないと「気持ちいい音楽」の背景は、依然「癒し」というものに隠蔽されてしまうことになりかねないのかもしれません。高岡さんは「音楽すること」に注目し、「癒し」を超えた有益な音の機能を果たしている「気持ちいい音楽」についてお話してくださいました。秋吉さんは「癒し」を超えず、徹底してその聴取の構造を紐解くことで、なかなか浮かび上がってこない「気持ちいい音楽」の裏面にある音(楽)の機能についてお話してくださいました。暑い日に丁度良いゾッとするような話も聞けて楽しい公開勉強会でした。

高岡智子(たかおか・ともこ)
1979年生。神戸大学大学院博士後期過程修了。
現在、日本学術振興会特別研究員(京都大学人文科学研究所)、神戸大学、甲南大学非常勤講師。
専門は、映画音楽、東ドイツポピュラー文化。

秋吉康晴(あきよし・やすはる)
神戸大学大学院人文学研究科所属。
京都精華大学非常勤講師。
専門は、メディア理論、音楽学、美学。

Posted by 鳴海健二 at 10:56 | コメント (0)

2013年7月 7日

7/6 癒しってなに?を知る

カフェトーク「きもちいい音楽論」
2013年7月6日(土)15:00~
話者:秋吉康晴(聴覚文化研究)、高岡智子(映画音楽研究)、太田賢佑(司会)
会場:CAFE&SHOP y3
参加無料(要1ドリンクオーダー)

こ こ10年ほどのあいだで「音楽に癒される」という言葉を私達はよく耳にします。何気なく日常に浸透している「きもちいい音楽」は、いったいなんなんでしょ うか。映画音楽研究者と聴覚文化研究者からのお話を手かがりに「きもちいい音楽」についてみなさまと考えてみたいと思います。
と言うわけで、こんな日常的なお話しをあらためて聴く機会は意外に少ない。
ここぞとばかりに癒しの本質、意味、具体例などいろいろ聴いてみよう。
今回はそれを「きもちいい音楽論」から紐解いていきます。



今回この企画を組んで頂いた太田さんからの話者メンバー紹介ではじまり〜。



会場の皆さまも興味津々です。
身近すぎてあえて気にする事の少ない微妙な空間時間「癒し」の魅力ですね。



そして聴覚文化研究をされている秋吉康晴さんのお話しで導入です。



きもちいい音楽と言っても、気分が高揚している時はリズミカルでアップテンポ、より刺激を求める様な
ダンスミュージックなどを好まれますが、やはり落ち着きたい時などには聞き流される程度の音楽、音ネタですね。
そんな感覚、感情の仕組みなどあらためて聞いてみると楽しいものです。



眠たくなるような音楽だけがきもちいい音楽とは限らず、なにも気にしていないのに逆にシャキシャキ作業を進めたくなるような
音の使い方もまたあります。
たしかに幼い頃学校でチャイムが鳴ると始業でキリッとしたり、終業でホッとしたり一種の切り替え音だったなぁ。
そんなこんな、音を有効に使うシステム、音でさまざまな効果を人間に与えるお話しなど面白い内容でした。



そして映画音楽研究をされている高岡智子さんのお話しに続きます。
なかでも作業効率に使う音(BGM)が何故必要か?とのお話しではチャップリンの映画が参考資料。
工場の単一作業システムが作業効率重視で考えられた時代にヒントはあります。って事ですね。



会場からは面白い質問?いや相談などもあり、
「大音量でクラシックを聴く夫、私は静かなJ-POP派。仕方なくこちらも大音量で。これはどう対処するべきでしょうか?」
確かに自分の聴きたい音が聞こえずそうではない音を聴かされたら? こりゃストレスだなぁ。
いろいろアドバイスはありますが、手っ取り早い「お話し」での解決が望ましいですね。



また他の方からは「癒し」の語源からの根本的な言葉の歴史をお聞きされたり。
いやぁ〜、今回の企画のお題は楽しくて話しは尽きないですね。
身近すぎて意外に知らない「癒し」「きもちいい音楽」奥深いものです。

Posted by 鳴海健二 at 10:11 | コメント (0)

2013年7月 5日

7/5 只今大絶賛中のカフェ展示は来週末まで!

「透明な奥のほう」
2013年6月23日(日)〜7月13(土)
参加作家:淺野夕紀、上村亮太、桜井類、田岡和也/片山和彦(GALLERY wks.)
10:00〜19:00(月曜休)/最終日は17:00まで(GALLERY wks. 12:00〜19:00/日曜休/土曜は17:00まで)
GALLERY wks.とCAP STUDIO Y3で同時に展示を行う展覧会です。
これまで長い間、アートに関わってきたwks.とC.A.P.にとってもはじめての試みになります。

ここカフェy3では上村さんの展覧会を開催しています。
今回はグッズ作品として繊細で丁寧、ちょっぴり?な作品群。
そんな上村ワールド作品展示は7月13(土)までなのでお早めにお越し下さい。
それでは一気にご紹介いたします!




























☆メイキングのおまけ

テーブルも4セット新調しました。



カフェフロアと廊下の間には壁が出来ました。



グッズ棚のブルーも新設壁と一緒に白く塗りました。



上村さんは秘密工場?で大きなプリントを作ってます。



そんなプリントはテーブルクロスだったり、カーテンになったり。



そしてオープン初日を無事に迎えました!

☆それでは最終日まで宜しくお願い致します☆

Posted by 鳴海健二 at 16:54 | コメント (0)

2013年7月 3日

6/28 ジンバブエの魂が聞こえた!

28(金)音の流星群〜ジンバブエのムビラ奏者ガリカイ・ティリコティ初来日コンサート【要予約】
2013年6月28日(金)18:00〜21:00/参加費:¥2,500(1ドリンク付)

ムビラという楽器についての説明、ジンバブエに伝わる伝説についてのお話とムビラ演奏プログラム
●18時〜19時
 "ムビラ"の楽器とその役割についての説明
 ジンバブエに伝わる伝説についてのお話
●19時半〜21時
 ムビラ演奏

アフリカ南部・ジンバブエの伝統楽器"ムビラ"の天才プレイヤー
ガリカイ・ティリコティが、2013年6月に初来日します!

時に繊細で優しく、時に激しくて雄々しいムビラに耳を傾ければ、自然とアフリカの大地にいざなわれることでしょう。
アフリカの魂の鼓動をぜひ体感してみてください!

【Garikayi・Tirikoti(ガリカイ・ティリコティ)】
1961 年ジンバブエのチウォタ地方生まれ、52歳。アフリカ南部・ジンバブエの伝統楽器"ムビラ"を演奏する家系に生まれアフリカ各地での伝統儀式出の演奏はも ちろん、アメリカヨーロッパ各地で、ムビラの演奏とその普及のために精力的に活動を行ってきた、演奏家、また製作者でもある。

3歳のときに教えられることなくムビラを弾き、6歳でムビラを調律して周囲を驚かせたという。
世界各地でその実力を世界に認められてきた音楽家で、アメリカでは、その演奏を"驚くべきスピードと正確さ"と評されている。

高音域、中音域、低音域など、チューニングの違うムビラで合奏する"ムビラオーケストラ"を確立した人物。
7種類の音域のムビラを弾きこなす世界でも唯一のプレイヤーである。

えー、本日はムビラのコンサートです。
ここCAPで陶芸制作している中村さんはムビラ奏者でもあります。
ワタクシたちジンバブエ素人としては中村さんと言えばムビラ(陶芸じゃ無いんかい)
ムビラと言えば中村さんって感じで、CAPでムビラを知った人がほとんどでは無いでしょうか。
その中村さんは毎月"ムビラの日"を開催してますしね。
今回は、本場ジンバブエのムビラ奏者ガリカイ・ティリコティさんと、その息子トンデライさん、
そしてこのコンサートツアーの企画者スミさんの三名で演奏されます。



先ほどのCAPメンバー中村さん(左端)が今回のメンバー紹介などおこなっています。
その隣が息子トンデライさん、その右隣ガリカイ・ティリコティさん、右端がスミさんです。
コンサート前半はスライドレクチャー。
ムビラ、ジンバブエのお話しにみなさん興味津々です。



恥ずかしながらワタクシもジンバブエが何処にあるかも知りませんでした。
と言いますか、アフリカ大陸を単にアフリカと呼んでる程度の知識は酷いものです泣
辛うじてカフェで焙煎しているコーヒー豆にキリマンジャロがありますので、タンザニアはアフリカ大陸だな、ぐらい。
いやぁ〜、地理もちゃんと勉強してれば面白かっただろなー、なんて。



CAPのムビラ伝道師中村さんが手にしているのがムビラです。
当たり前ですがすべて手作りで味があります。
手に持って指で金属板を弾く楽器と聞くと、カリンバみたいな?って思ってましたが、ムビラはかなりハードな作りです。
弾く金属板もスプーンみたいな物で辛うじてしなってる感じ。
爪が負けて割れたりするそうでなかなか強固な楽器だったりします。
音階もきちっとチューニングされていて数台で弾く合奏として成り立っています。



後半はお待ちかねのムビラコンサート。
ガリカイさんの手元には大きな円形のものが。
これに先ほどのムビラを固定して共鳴板の様な役割。
この中に仕込まれたムビラを弾いています。
左にいるガリカイさんの息子トンデライさんが振っているのがホショ。
これまたムビラ演奏には欠かせないテンションの上がる楽器。
ひょうたんで作られたシェーカーですね。
まあマラカスの様な演奏法、しかしこれかなり音が大きいので演奏自体を引っ張って行く勢いです。



ガリカイさんのムビラがカフェ全体を包み込んでいきます。
息子トンデライさんとの共演はなんだか微笑ましくもあり、ここが日本って言う事が不思議にも思えまて来ます。



今回のツアーではムビラも購入出来ます。CDの販売もあり。



ガリカイさんがアグレッシブにホショを奏でます。
ドレッドを振り回すほどこちらのテンションも上がり、トンデライさんスミさんのムビラも響き渡ります。


すでに遠巻きの方々のカラダはビートに乗り始め...



みなさん総立ち、ムビラとホショにトランスされていってる様です。
いやいややっぱりカラダを動かすのは良いものです。そんな全身で音楽してる感じは理屈のいらない楽しさですね。
カフェは超異国情緒な一夜になりました。
ガリカイさん、トンデライさん、スミさん、そして中村さん、ありがとうございました!
Posted by 鳴海健二 at 15:14 | コメント (0)