2011年5月10日

4/17〜26 新井敏記さん特別レポート「コヨーテ、人と出会う」

雑誌「コヨーテ」を立ち上げ、編集長を務めた新井敏記さんが10日間、Q2で人を待つ時間をもちました。新井さんの寄稿でお届けします、特別レポートをご覧下さい。新井さん、ありがとうございました。

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二〇一一年四月 

誰かと出会うための旅

CLUB Q2 の十日間

新井敏記(コヨーテ編集長)


 港で誰かと出会うためにただ待つことを願う。
「コヨーテ、人を待つ」と銘打った写真展をこの四月十七日から二十六日までの十日間、神戸で行った。会場のC.A.P.が主宰する埠頭の倉庫CLUBQ2からの眺めは美しかった。
 雨が降っても晴れても曇っても日を惜しむように、海を見つめている。一日の中でも潮が満ちたり引いたり、刻々と変化する水面をただ見ているだけでよかった。様々な船が行き来していった。韓国からやってきたコンテナ船やタンカーもあれば、タグボートやレジャーボートを見かけ、中国行のフェリーも見送ることができた。なにしろ倉庫の目の前は神戸港でもっとも深い水深を誇るところ、運がよければ外国航路の豪華客船も入ってくる。昔はここからハワイやブラジルに日本人は移民船で海を渡り、チャップリンやアインシュタインはより見聞を広めるために最初の地をここ神戸に踏んだ。
 港で海を眺め、写真を展示、珈琲を飲む。ただそれだけの十日間。
 その時間は僕にとってこの上ない贅沢な旅だった。旅を終えて気持ちが揺らいでいるのは、その間の人々との交流と過ごしたかけがえのない濃密な時間を惜しむ切なさを感じているからだ。
 多くの人がこの場所を訪れ、写真を見て、景色を眺め、気が向くと珈琲片手に本を読んでいた。偶然居合わせた者同士、自然と会話も生まれた。遠くにいる人に手紙をしたためる人もいた。スライドをただ見つめている人もいた。一人で来る人もいれば親子、友人も、家族、夫婦で来る人たちもいた。神戸は元より、大阪、名古屋、東京や富山から足を運んでくれた方もいた。初日に来てこの場所の虜になって助っ人をかって出た若い学生もいた。
 皆が思い思いにCLUB Q2の時間を楽しんでいた。以前この場所に足を運んだ人は懐かしく、初めての人は行き方がわからず戸惑っていた。夕暮れになると誰も降りないモノレール駅を降りるのは心細いという声をよく聞いた。入り口を見つけたときの安堵をどれほどの人が浮かべたことだろう。この街で小さな冒険旅行、僕自身その表情を見るのも楽しみの一つになった。
 両側海に挟まれて、まるで船に乗っているような気持ちになる。僕はまるで奇妙な航海に向かう船長だった。シャクルトン船長気取りで「エンデュアランス号」をなぞり、僕は人々をこの奇妙な航海に誘っていく。

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 写真展示はアラスカで撮ったものを選んだ。
 アラスカの中でも特に南東アラスカのシトカという街の人々の営みを中心に選んでいった。悠久の自然を抱くアラスカの人々の肖像は、この場所にこそふさわしいと思えた。南東アラスカのことなら来た人に訊ねられても、少しは話ができる。
 例えば風景の話。
 かつて遠くから来た旅人の話に、僕たちは夢中になって耳を傾けた。旅人は行く先々で彼が見た光景や出会った人々の物語を語り続ける。そして旅人はその土地の教えを地元の古老から請い、自然の法則や智慧を伝え聞いて、次の土地へ向かう。それが次の新しい冒険譚して紡がれていく。

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 訪れた人からも、僕はいろいろな話を聞いた。
 例えば美味しいホットケーキ屋が六甲山の麓にあるということ。青空の下のカフェや三日目が一番美味しいショートケーキを出す小さなカフェ。ガード下でジャズが流れる喫茶店。詩と芸術書が充実した西宮の本屋。餃子が美味しい坂の途中の中華料理店。これから旅をする絵描きのために絵を展示するギャラリー。そして元気になるカレー屋。まるで僕はおとぎの国に迷い込んだようにメモ帳の頁をめくっていった。 
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 僕はそのお返しに、星野道夫に伝え聞いたアラスカを海の向こうの彼方の世界を語りたいと思った。
 星野道夫はたった一人で原野を旅して行った。この見えない世界に価値を置く世界のたくさんの不思議を写真と文章に記録していく。雑誌「コヨーテ」は彼の軌跡を追うことで刊行されていった。僕にとって神戸の時間は見えない世界を改めて紐解くことでもあった。
 埠頭の夕暮れ、アラスカの夜を思った。
 キャンプをして夜になると身体も冷える。火を熾す。周囲の林に炎が写って薪がパチパチと澄んだ音を立て燃え上がる。深夜オーロラが出て、遠く犬の遠吠えの声を聴く。昼間原野を駆った疲れが出て泥のように眠る。時々狼らしい鳴き声を聴いてももはや気にする力はない。明日へと心を向かわせるのが唯一の気力。
〈どうしてここに来たのだろうか〉
 と自問する。ただ必死でここにいるという答えだった。
 この十五年、アラスカを旅していった。北の大地で暮らす人々は見えない世界に価値を置いて生きている。僕たちが失った力を考えた時にアラスカは羅針盤になる。
 なによりも自然を征服するのではなく、自然に添って生きる。
〈人はどうして旅をするのだろう〉
〈ここではないどこかを求めるのはなぜか〉
 二〇〇四年九月、旅の雑誌「コヨーテ」を創刊した。以来森山大道や星野道夫、沢木耕太郎、池澤夏樹を案内人として日本をはじめアラスカ、カナダ、ニュージーランド、フランスなどさまざまな世界を渡り歩いていった。移動とは何か、路傍の石に記しを刻むように、大地を駆って世界を発見していく。それが僕にとって旅をする雑誌の醍醐味だった。
 創刊まもなく北九州の小倉に住む平野清子さんを訪ねた。彼女は孤高の画家といわれた亡き平野遼の夫人だった。画家のアトリエはしんしんと深い森のように光も闇も混在となしてただ美しく存在していた。僕はそこで一編の詩に出会った。
  薔薇の
  生け垣の
  向こうまで
  熱烈な
  長い旅をしよう
 トイレの窓に張り紙されたその言葉は誰のものか、夫人もわからなかった。平野遼さんの自作かもしれないし、平野遼さんが気にいって書き留めていた詩かもしれないと言う。でもその言葉は励ましに満ちて、旅の深さは距離ではないことを伝えてくれた。二〇一〇年十二月「コヨーテ」を休刊した。自分には少し自由な時間が生まれた。その自由は余儀ないものだった。休刊してはじめて自分が失ったものの大切さを知った。それが感傷だと知っていても、夢見た旅がしたくなった。
 薔薇を素手で摘み取るようにこれからコヨーテを再興する旅をしたいと思った。神戸の展覧会はその一つだ。
 この埠頭で日ごとに珈琲を煎れることもうまくなる。窓を開けると埠頭を渡る風はまだまだ冷たい。カウンター越しに耳を澄ますといくつも会話が聴こえてくる。どこから来て、どこへ行くのだろうか、朝の風景、昼の風景、そして夜の風景を想像する者もいた。六甲山を縦走して、麓の喫茶店に入り、この展覧会を教えてもらい海に来る者もいた。日が沈み始め霧が立ち上り、近くまで迫る山並みを上っていく。なぜか僕には南東アラスカの光景にように思えた。遠い自然と身近な自然、その二つの世界で呼応する世界。凛としてどちらも寄りかかることはないだろう。
「求む男子。至難の旅。わずかな報酬。極寒。生還の保障なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る...」とは「エンデュアランス号」の船員募集の告知だった。神戸の十日間の「コヨーテ」号は果たしてどのような募集要項だったのか、いつか居合わせた人々に聞いてみたいと思った。「名誉」もないし、「賞賛」もない。されど楽しい思い出は残っている。
「旅」の語源は旗のもとに人々が集い、歩くことだという。ならばまず旗をあげて出行する。旗のもとに集まる人の声を聴く。途上にある者たちに地図を描く。「コヨーテ 人を待つ」のシーズン2ができるなら、この一年の思い、脳裏に浮かんだ地図を燃やすことから始めたい。
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