2012年4月13日

坂井良太個展「Polyhedron」&ポール・ベネ個展「Breathless」 合同オープニングパーティ レポート


5月6日(日)まで、CAP STUDIO Y3の4階ギャラリーにて、坂井良太さん個展「Polyhedron」、ポール・ベネさん個展「Breathless」が開催されています。来る4月8日(日)には、合同オープニングパーティーが開催されました。その模様をお伝えします(藤墳智史)。

120408_opth_IMG_5145.jpg
平面から飛び出す多面──坂井良太さん
 平面作品が中心に並べられた坂井さんの個展「Polyhedron」。平面作品が並んでいるといっても、それは壁に掛けられた、一般的で平面の絵画として完結した形で並べられているわけではなく、ギャラリー内の床にも所狭しと作品が並べられ、「多面」での展開の試みであることを強く意識させる内容となっています。
 酒井さん自身、動きの完結や停止、本来3次元のものに制限を付ける「平面」から、視点を制限することなく、多面的な要素を引き出すことを意識していたそうです。平らな正面に対して、さまざまな方向から見て、もっと空間を意識することはできないか、平面でありながら、空間を感じさせることができないか、そんな難しい試みが形になったものだと言えます。
 床に並べられたいくつかの作品を見ても、そこにはいくつかの角度からみたキャンバスが張り合わせられ、そこに描かれている線自体も、いくつかの平面を横断し、しまいには作品の中で完結することなく、外へと飛び出ていきます。完結していた平面に対して、作家が働きかけて、止まっていた時間を動かしてみせた、そんな感じと言えるでしょうか。
 平面が動かされ、完結した状態ではないとしたら、その状態もまた静的で必然的なものではないのかもしれません。一度、作家の働きかけをきっかけに動き始め、平面から飛び出していくいくつかの面や線が、いったいどうやって、自ら動き、形を作っていくのか、それをにどんな表現ができるのか、興味が尽きないところです。

120408_opth_IMG_5133.jpg
戦争・技術・まなざし──複雑な出来事をドローイングする試み
ポール・ベネさん個展「Breathless」。「Breathless」は息を飲む、あるいは緊迫感のある状況というべき言葉でしょうか。この展示で並べられている一連の作品の題材となっているのは、そんな緊迫感のあるシーンです。バグダッドで、市内上空を監視して回るヘリコプターがジャーナリストを誤射して殺害に至らしめたシーンをご存じの方も多いと思います。
※参考リンク↓
http://www.youtube.com/watch?v=to3Ymw8L6ZI

Youtubeなどで「Collateral Murder」(想定外の犠牲者)などの題名が付けられていることが多いようですが、この劇的でシリアスな一連の映像(Sequence)をドローイングとして描き出すことを、ポールさんは試みました。鉛筆やパステル調の柔らかいタッチの作品が多いですが、その点で、今までとは違う作品だとポールさん自身も述べます。

ヘリの照準の向こうに見えるのは(占領下ではあるものの)、変わった光景というわけではありません。19世紀とさして変わらないようなバグダッドの町並み。照準にはさらされているものの、それに気付くことなく行われている日常の営み(ヘリの操縦士ジャーナリストの持っている道具をアサルトライフルと勘違いし始めているようですが)。ヘリが上空を旋回して監視を続ける中で
情緒ある街並みが何度も映し出され、個人個人それぞれのありふれた日常の暮らしの光景を見ることができます。手を振ったり、挨拶をしたり、声をかけたり......、特に何かに方向づけられていない、個人の姿、それを照準を通して見てしまうという不安──照準が写りこむ視点でしか、人や街を見ることができないという不安......。

むろん、その不安は的中してしまいます。一斉掃射──瞬時に命を落とす人、必死で逃げまどう人、ただの個人であった人たちが瞬時に出来事の主体になってしまう。描き出されるべき「パターン」になってしまう。照準を通した視点を共有することで、描く側もその視点を共有して、人々を出来事の主体や「パターン」として描くことになってしまう......。ぽーるさん自身がそうした複雑で深刻な状況を、ドローイングという手法で引き受けようとしている、そんな印象を受けました。

画面上で戦争を見ることはもはや珍しいことではありません。特に湾岸戦争やユーゴ、イラク、アフガニスタンの戦争の中では、攻撃する側からの視点の「スペクタクル」(見せもの)のようなものとして、戦争が見られることが多くなってきているように思います。ピンポイントの爆撃や、戦闘機の視点から相手機を攻撃する様子、市内を監視する航空機が捉えた事件など、目にすることは珍しくありません。

パイロットや軍人だけでなく、はるか遠くで画面をみる私たちも、技術に憑依されて戦争を体験し、警察化する戦争のまなざしを共有し、遠い場所の出来事も即座に知るスピードも備えた環境にあります。そうした感覚が明確に変容する中で、どう表現を試みていけばよいのか、ポールさんの一連の作品からは、そんな真摯な問いかけが感じられたように思います。
※戦争と技術や速度と映像の関係、人間の感覚の変容について論じたものとしては、フランスの都市計画者ポール・ヴィリリオの著作があります。ご関心をお持ちの方はよろしければご覧ください。おもな作品は下記のとおりです。

『戦争と映画――知覚の兵站術』(平凡社ライブラリー、1999年)
『速度と政治――地政学から時政学へ』(平凡社ライブラリー、2001年)
『電脳世界――最悪のシナリオへの対応』(産業図書、1998年)
『情報化爆弾』(産業図書、1999年)
『幻滅への戦略――グローバル情報支配と警察化する戦争』(青土社、2000年)
『情報エネルギー化社会――現実空間の解体と速度が作り出す空間』(新評論、2002年)
『瞬間の君臨――リアルタイム世界の構造と人間社会の行方』(新評論、2003年)
『ネガティヴ・ホライズン――速度と知覚の変容』(産業図書、2003年)
『自殺へ向かう世界』(NTT出版、2003年)
『アクシデント――事故と文明』(青土社、2006年)
『民衆防衛とエコロジー闘争』(月曜社、2007年)
『パニック都市――メトロポリティクスとテロリズム』(平凡社、2007年)

【雑誌特集】
『現代思想』2002年1月号(ヴィリリオ─戦争の変容と政治)(青土社、2002年)
kono 01Y3日記
コメントしてください