2012年9月19日

10月のcapture「映像日記〜トヨダヒトシのスライドショー」


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ニューヨーク生まれ、東京育ち、90年より再びアメリカへ。作品をプリントすることなくスライドショーでのみ発表する写真家、トヨダヒトシさん。アナログの映写機を自ら操作し、無音の長編スライドショーを上映する作品形態は、アメリカでは俳句になぞらえて評されたりしているようです。トヨダさんのユニークな活動について伺いました。


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■旅について
子どもの頃からふとどこかに出掛けるのが好きで、中学生の頃はよく自転車にテントをのせてふらりと出掛けていました。それは、特に行きたい場所があったわけではなく「ここ」ではないところに行きたかったのだと思います。目的地もなく、日が暮れるとテントを張り、どこにたどり着いたということもなく帰ってくるような旅、と言えるのかな?
それから大人になって、ひょんなことから写真を撮るようになり、1990年からアメリカへ行きます。そこでも中古のステーション・ワゴンを買って「行き先を決めない旅」をしていました。こうして考えると、大人になっても「ここではないどこか」は続いていたのですね。しかしここではないどこかへの旅は、結局僕にとっては逃げるための言い訳でしかないことに気づきました。それらの旅は、僕の写真に対する奨学金で実現していたのですが、その根拠である写真も撮れなくなりました。旅をやめ、写真もやめ、ニューヨークでアルバイトをしながら悶々とした日々を送るようになります。


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■「ここ」と「どこか」
そんなどこにも属していない日々の中で、ニューヨークという街でのいろいろな人との出会いや、アパートに迷い込んできて居候をはじめた猫との生活、その頃住んでいたのはブリックリンでしたが、ニューヨークという街そのものにいろいろなことを教えられました。そうして、一年経ちふたたび写真を撮るようになります。フィルムの上に日記をつけるように「日々」というものを撮るようになるのです。自分が身を置いている「ここ」がどこなのかを、写真を撮ることをとおして考えようとしはじめたのだと思います。「ここではないどこか」ではなく、「ここ」がその「どこか」なんだと気づきはじめたのかな。
そんな中でプリントに焼きつけられた写真ではなく、消えていく写真としてのスライドショーへと作品が変わっていきました。写真に撮るすべての瞬間、そして今いる「ここ」もやはり少しずつ消えていっていて、それを紙の上に残すのではなく、同じように消していく写真の作品へと。それはけっしてネガティブなことではなく、むしろポジティブなことと思えたのです。


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■再び「旅」について
ニューヨークにとどまり始めて6〜7年くらい経ち、また旅へ出掛けるようになりました。でも、「ここ」があの「どこか」であるのかも知れないと気づいたことで、それまでの僕の「旅」とはすこし違うものになったと思います。日本のアーミッシュを訪ねたり、元ホームレスの人たちが暮らす家や、山の中の禅寺を訪れたりしているのは、「どこか」ではなく、それぞれの人にとっての「ここ」、「居場所」と言ったらいいのか、そういうことを意識した旅なんです。うーん、うまく言えませんが。
「旅」が非日常だという考え方がありますが、日常も「旅」の途中、というか、じつはどの瞬間も、かけがえのない非日常なんだという意識があるのです。そういう意味で僕にとっては、いつも生活している場所も、そことは離れたところへ出掛ける「旅」もまた、「ここ」であり、かけがえのない「日常」なのです。


*トヨダヒトシさんの新作スライドショーをCAP CLUB Q2にて10月5日、6日の夜に開催します。概要はこちらをご覧下さい
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