2014年7月31日

【トモコの部屋】8月のゲスト:山盛英司(朝日新聞大阪本社生活文化部長)

C.A.P.は今年で20年目。代表の杉山知子が毎月ゲストをお招きして、これまでの活動を振り返ります。

アーティストが集まって始まったC.A.P.の中に一人、新聞記者が混じっていたことがありました。 山盛英司さんにとってC.A.P.はどんな存在だったのか、そして今はどう映っているのか。

140701tomokono.jpg
【今月のゲスト】
 山盛英司 Eiji Yamamori

(朝日新聞大阪本社生活文化部長)
1963年名古屋市に生まれる。早稲田大学卒業後、88年朝日新聞入社。
AERA発行室記者、神戸支局、 大阪本社学芸部記者、東京本社文化担当部長、デジタル本部長補佐などを経て、2014年から現職。


C.A.P.に出合ってラッキーだった
杉山: 山盛さんは大阪本社学芸部の記者だった時、C.A.P.の活動に参加してくださっていました。

山盛: 1996年からです。最初、原久子さん*1から電話がありました。当時、兵庫県立近代美術館の学芸員だった山崎均さん*2が何かと取材に協力してくださっていて、山崎さんが原さんに紹介した みたいです。

杉山: それで一度、サロンでお話してもらうことになったんですね。内容は、白系ロシア人とかユダ ヤ人とかフリーメーソンとか、それまであまり知らなかった神戸の街の歴史についてのお話でした。

山盛: 95年9月まで神戸支局の、文化とか社会とか特定の担当がない、遊軍記者でした。その時に歴史を掘り起こしてみようと。「映画100年」のテーマで連載を書いていましたが、95年の正月に震災 があって、連載は中断しました。その年の秋、大阪本社の学芸部に異動になり、美術担当になりまし た。美術は好きでしたが、関西のアートシーンについて右も左もわからない時に、C.A.P.に呼んでいただいてラッキーでした。

杉山: こちらは震災の後、旧居留地で何かできないかなと考えているところだったんです。じゃあ、 街を知るところから始めようと、山盛さんを呼んだわけです。

140702tomokono.jpg


『山盛新聞』を発行
杉山: 山盛さんは「旧居留地物語」を連載していました。みんなで旧居留地を撮影してまわる「のぞ き穴からみた街」*3というイベントをしました。新しい街に変わる前に、「今」を見ておくことが大事じゃないかと。その時はまだ、ラフカディオ・ハーンがいた新聞社「コウベ・クロニクル」*4 があったビルもレンガが残っていて、その前でベンツがぺっちゃんこになってた。この時の写真集も時間が経つと貴重になってくると思います。

山盛: 路上観察というのはありましたけど、一斉にぱあっと、みんなでやろうというのはなかったですね。画期的だったのは、みんなが街にちらばっているのがそのまま作品になっていたこと。それを見ることはできないですが、光景がイマジネーションできる。

杉山: ビルに入らせてもらったり、屋上に上らせてもらったり。

山盛: 今でこそ、妻有とか瀬戸内とか、まちをふらふらするのがあたりまえになってきたという か...。

杉山: これは、作品を置いておいて見せるわけじゃなくて、参加する人が探すというものでした。 「アート・ポーレン」*5もそう。その次は「観光」をテーマにイベントをしました。観光って何だ ろう?それは自分で見ること、発見することじゃないかと、サブタイトルを「なんでもない一日」 *6にしました。

山盛: いい題ですね。今でも、いや今でこそ、ですね。今はとにかく何でも、文化で観光っていうこ
とになってしまった。

杉山: この時、山盛さんには大いに力を発揮してもらい、『山盛新聞』を発行しました。その日の内に取材して発行までする。
140703tomkono.jpg 

山盛: C.A.P.の仕事っておもしろくて、それまで、アートが表現される現場にいて、それが参加者によって意味づけられていくという体験はしたことがなかった。私の新聞も、誰ももらってくれないと思っていたのに、余るどころか足りなくなって、夕暮れ時に追加分をコピーして戻ってきたら、二三十人残ってくれていて、ものすごく感動したんです。貴重な体験でした。

140704tomokono.jpg


アートがアートになる瞬間
山盛: 私の美術の見方は、C.A.P.によって養われたと言ってもいいくらいです。その後の美術記者としての背骨のようなものができたからです。

杉山: へえ?

山盛: C.A.P.の活動は、芸術と芸術じゃないものの境界線上にあると思いました。「美術とは何か」という真正面からみても答えが出てこないようなこと、アートの本質というものは、アートとアートじゃないぎりぎりの境界線上のところを見ていくと、見えてくるんじゃないかと、参加した時に思ったんです。撮りきりカメラで街を撮るだけじゃアートじゃないけど、こういう風にやるとアー トになるという、ぎりぎりの瞬間がある。アートがアートになる瞬間...。それがアートとして成立する瞬間と、逆にアートでなくなる瞬間を見ていくことを、その後も記者として続けました*7。

杉山: ちょっとしたきっかけで、アートになるという、その仕掛けがおもしろいんです。それを今までやってきたつもりですが、最近つまんないのは、作品をそこに置いとけばいい、という安易なやり方が多いこと。

山盛 :出発点も違いますよね、C.A.P.の場合は主体がC.A.P.にある。最近のは行政に仕組まれている。「おぼれるものはアートをつかむ」なんて言われたこともあって、行政は2000年代からいわゆる大箱の「箱物行政」が手詰まりになって、芸術を取り込む動きが生まれた。恒久設置ではなく一 過性のもので、ダメになったらやめればいい。それはたいてい集中的に人集めができる一時の催しだけれど、C.A.P.は、ずっと継続的に日常の活動として議論をしていて、ある時が来たら、やりま しょうという方法でした。

140707tomokono.jpg


アートがアートでなくなる瞬間
杉山: アートとみんなの日常生活が近くなれば、と思っていろいろ探ってきたけれど、どうなんだろ う?

山盛: C.A.P.がスタートした時、社会はアートに無関心だった。無関心な社会に対して、アートは関心を喚起できるかもしれない、その先にアートの本質的なものがあって、人がそこに関心を持つと、もっと生活が変わっていくかもしれない。そんな希望を持っていた。ところが、行政が廃校になった小学校とかレンガの倉庫とか、どうぞ現代アートに使ってください、という時代になった。与えられた時代だから、当然、表現は違ってくるでしょう。大事なことは、環境に溶け込んでいってしまうと、アートでなくなってしまって、アート的なものになってしまうことです。それこそ、触ると ケガするみたいな、火傷するような、絶句してしまうことがどっかにないと、アートじゃなくて、ただの観光の装置になっちゃうと思います。

杉山: いまは田舎だとか島だとか、何をやってもウエルカムな雰囲気があるけれど、震災後の神戸で 始めた時は、認められていないから、街の人の反応がわからないのがおもしろかった。「観光」で は、本当に観光している人もいて、うまく引っかかったなと思った。

山盛: ゲリラでしたよね。それと比べると、若い世代は、うまくなりました。ある場所に行って、そ
の場所の文脈を引き出して作品にすることがうまくなった、むしろそこが危険だと思います。

杉山: そう。これでいいのかなって。

山盛: この作品で、あなたはどこにいるの?何がしたかったの?という問いがふつふつと湧いてきま す。以前に比べ言葉が豊富なんです。ここにはお墓がありましたとか、手作業のおばさんたちがいま すとか、そんな時代の記憶を蘇らせましたとか。ストーリーがきれいだし、歴史とか積み重なっていて良いですよ、できた物も良いですよ、でもそれはアートかな?アートがアートじゃなくなる瞬間というのを感じる、異物ではなくなってきているんです。その一方で、個に引きこもっていく作品がある。そういう表現が出てきて、それがわかる自分になりたいと思いますけど。

杉山: そんな世代に期待は持っているんですね。

山盛: ええ。それをわかるには、これまでの自分の美術観を壊さないと。これは自戒を込めた話で、 フランスの社会学者ピエール・ブルデュー*8を読んで思ったのですが、宿命的なものを感じるのは、ある作家なり、ある芸術のムーブメントと、それを批評する人、売る人は一緒に成長するということです。前の世代のアーティストは社会と闘う人たちだった、激しくぶつかって社会を批判し、社会の矛盾を表に出そうとした人たちがいた。その時、記者は前衛芸術の同志といってよかった。私と同世代のアーティストは社会とはけんかしていなくて、等身大の、攻撃してこないアートがあった。上の世代は、私たちの世代にじりじりしたと思うんです、なんで社会と手をつないでいるんだと理解しづらかったのでは。私が下の世代に面食らうのも同じじゃないかと。次の世代には、違った批評家が登場して、違う言葉を彼らに与えるのだろうと。

杉山: アートと社会の関係が変わったんですね。

山盛: それに合った仕組みが生き残るのでしょう。



【註】

*1 当時C.A.P.メンバー。このころ京都造形芸術大学に勤務し、大学発行の「Art & Critique」誌の編集を中心に美術雑誌等にも執筆、展覧会や講演の企画も。現在、大阪電気通信大学教授。

*2 C.A.P.創立のころ、1994年10月に同氏が企画した展覧会「明日の美術館を求めてIII 眼の宇宙--かたちをめぐる冒険」には、C.A.P.創立メンバーの石原友明、藤本由紀夫も出品。現在、神戸芸術工 科大学教授。

*3 CAPARTY vol.3として、1996年11月3日開催。白黒のレンズ付きフィルムカメラで参加者が撮影、フィルムを回収して写真集を作成。

140706tomokono.jpg

*4 居留外国人向けの日刊英字新聞The Kobe Chronicle。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も一時、記者として在籍し、論説欄を担当。

*5 CAPARTY vol.5として、1997年11月3日開催。旧居留地内に点々と14組のアーティストが散らば り、参加者は作家と直接コミュニケーションすることで理解を深める、参加型・移動型の展覧会。

*6 CAPARTY vol.7「観光--なんでもない一日」。北野町、旧居留地、トアロードをエリアに、1998年 11月3日開催。
140705tomokono.jpg

*7 100人のアーティストにインタビューした連載「ハンティング・アート」(朝日新聞大阪本社版朝刊)をはじめ、アウトサイダーアートやアジア同時代アート、アートと経済などを追った。

*8 Pierre Bourdieu(1930--2002)。『ディスタンクシオン』『芸術の規則』『実践感覚』など。



2014年5月24日
CAP STUDIO Y3にて収録
tomokonoheya_green.jpg

shimoda 01Y3日記
コメントしてください