C.A.P.10th-証言:下田展久

CAP HOUSE ディレクター

1957年、川崎生れ。和光大学在学中にアルファレコードより「ムーンダンサー」リリース。エレキベースを演奏。大学卒業、バンド解散、パジャマ結成。CSV渋谷で楽器売場マネージャー。1988年、神戸に移りジーベックホールで企画制作プロデュース。
1995年、阪神大震災の直後、フランスの音楽家から義援金の引渡し先について相談を受ける。藤本由紀夫さんの紹介でC.A.P.のミーティングに参加。C.A.P.はフランスからの義援金を利用してジーベックでCAPARTYを実施。会場側で制作を担当する。98年、C.A.P.のメンバーになる。2002年会社を退職しCAP HOUSEプロジェクトに専従。

1) CAPの活動に参加した当時のCAPの様子
C.A.P.のミーティングに初めて参加したのは、僕の手帳によると1995年6月10日土曜のようです。フランスのアーティストからの義援金について藤本さんに相談したところ「良い人達が居るんですよ」と、紹介された記憶があります。結局、この義援金をC.A.P.に引き受けてもらって、同年10月28日、ジーベックで1日だけのアートパーティーを開催することに。まさかこんなに長く続くとは、、、、ミーティングは江戸町の杉山さんのアトリエでやってました。絵の具や筆がたくさんあって、大きな絵を壁に寄せてスペースを作り、部屋の中央に木製の馬(折畳みの脚)に乗った大きな天板の机が置かれ、それを囲んで話をした記憶があります。窓が大きくて気持ちの良い部屋でした。ミーティングの後はワイン。この人達は、いつもワインを飲んでいるのか!?と思いつつ自分も飲んでしまいました。サックスでバッハの無伴奏チェロを演奏したCDがかかっていたか、ジャズだったか、、、よく音楽が聞こえていたなあ。窓の外は被災したビルの取り壊しや、早くも再建の工事の様子があちこちで見受けられました。話の内容は毎回違ったけれど、いつも好奇心に基づいたフランクで前向きな雰囲気を感じました。ミーティングは、イベントに落とし込みが決まっていなくても、何か企画・制作していっているような、ホールの事業とは少し違った感覚も感じました。

2)CAPに参加した(メンバーになった)動機
88年に神戸に越して来てから仕事;ジーベックだけの生活が続いていたけれど、震災で生活がふっと別のペースになったら、周りにいろいろな事が見えて来た。フランスで義援イベント;Acte Kobeをしてくれた人達がいて、神戸にはC.A.P.がある。義援金はCAPARTY実施につながり、その制作に自分が関わる事になり、CAPARTYはまだ続いている。この最初の役割を自分は続けるのかなあ。ジーベックは音響機器の会社が始めた事業だけど、違うやり方でもっと自由な面白い事ができるのでは?そんなことで遅ればせながら98年の1月に会員になりました。