C.A.P.10th-証言:上村亮太

美術家。おもに絵を描いています。ときどき美術館やギャラリーなどで展覧会をしています。
03年よりCAP HOUSEのアトリエの住人となり、KAIGAクラブの講師などを担当しています。

1)CAPの活動に参加した当時のCAPの様子

杉山さんやマスダさんという古い知人がCAPのメンバーだったこともあり、CAPという組織が出来る頃から、CAPのことは知っていました。高砂ビルの杉山さんのアトリエで、「上村くん、こんな事を考えているの。」と、言って見せてくれたのがC.A.Pの文字でした。

CAPのイベントを始めて見に行ったのは、たしかアートポーレンだったと思います。印刷物などもあか抜けていましたし、いろいろな人たちをうまく巻き込んで、いい感じだなと思いました。観光客などでにぎわう旧居留地に、妙な乗り物や、挙動不振の若者達がたむろしている様子は、とても興味深い感じでした。私は建物さがしのようなプランに参加し、みごとにキーワードを見つけて、景品のようなものををいただきました。

CAP HOUSEの一番はじめの大掃除の時も、参加いたしました。「手が足りないかも知れないので、ちょっと手伝って」という杉山さんの言葉で参加したのですが、手が足りないどころか、とてもたくさんのサポーターがいてびっくりしました。大丈夫そうなので帰ろうかな、と思ったのですが、せっかく来たので、参加させていただきました。皆がお揃いの白のカバーオールを着ているのは、ちょっと異様でしたが、お金を払ってカバーオールやらを購入して、いそいそと働きはじめました。気がつくと某美術館の学芸員の人も掃除のお手伝いをしていました。「いつも本当に忙しいの。」とか言っていたのに、こんなところでお掃除しているとは・・・。でも、とても楽しそうに掃除をされていました。ペンキを塗ったりもしたのですが、カバーオールは防塵タイプだったので、ペンキに対してはとても無防備で、服にはところどころペンキが染みていました。ルミナリエの備品のようなものをあてどもなく運んだり、皆、一生懸命でとても楽しかったです。

2002年の夏、ほんとに久しぶりに、ぶらりとCAP HOUSEに立ち寄りました。すると、ばったり杉山さんと出会い、「上村くーん、今、手紙を出そうと思っていたところなの。」と、企画中の"PARTY"展のことを話してくれました。なんとなく楽しそうな感じだったので、その場で参加することを決めて、4階の使用していない部屋を使って、展覧会に出品する作品を制作させていただくことになり、それから、CAPHOUSEの中にゆっくりと身を置いて、いろんなことを考えたり作品を作ったりする生活が始まりました。"PARTY"展は5人〜10人ぐらいのささやかな展覧会という風に聞いていたのですが、気がついたら、何十人もの参加人数になっていました。そうこうしている内に「CAPATY」が始まり、わけが分からない内におみやげのポストカードを作り、わけの分からない内に、いろんな人と話しをしていました。そうこうしている内に、"PARTY"展の搬入の日がきました。CAPの中にいると、なんか次から次ぎへといろんな事があります。ぞくぞくと色んな作品が運びこまれ、色んな人がやってきて、展覧会は始まりました。そして、この展覧会が終わり、少したってから、メンバーの一員となりました。

2)CAPのメンバーになった動機

CAP HOUSEで行われた展覧会"PARTY"展に参加させていただいたのが、メンバーになるきっかけだったように思います。作品を制作するために、展覧会の2ヶ月ほど前から空いている部屋を使わせていただいたのですが、その間にも色々なイベントに参加したり、メンバーの方々の人柄にふれたりしている内に、少しずつCAPの魅力に引き込まれていったのかも知れません。私自身、これといって取り柄もないのですが、CAP HOUSEのアトリエで制作することを通して、何かを感じたり、感じてもらったり出来るかな、と思い、メンバーにさせていただいた次第です。随分前からCAPの活動に触れてはいたのですが、8年目にして、やっとメンバーになったというのは、何と言うか、やはり縁なのでしょうか。