C.A.P.10th-証言:渡邉智穂 

CAP HOUSE管理人
新潟県出身。京都の短大を卒業後、アルバイトを転々としているところに椿昇さんのハノーバー万博の日本パビリオンの壁紙デザインプロジェクトのお仕事を手伝わないかと誘われ、言われるがままに参加。
その後、C.A.P.のメンバーになる前に、CAP HOUSEの管理人に就職。管理人になって4年になる。管理人の業務の他、最近はイラストを描いたりフィギュアを作ったりすることもある。

◎当時の様子
当時たぶんメンバーだった椿昇さんのお仕事を手伝うことになり、潤井くんに連れられ、2**号室(椿部屋)へやってきました。2000年の始めでした。そこから約3ヶ月の間、椿組メンバーの永田くん、モンノさん、潤井くんと私4人で椿部屋にほぼ軟禁状態で作業をしていたため、C.A.P.やCAP HOUSEのことは何にもわからないまま3ヶ月が過ぎていきました。その間、メンバーの方たちともほとんど顔を合わせることはありませんでした。毎週土曜日の夜になると、1階のリビングルームで大人たちが集まってパーティーをしていていました。そして、パーティーの残り物をよくもらいに行ったりしました。ある時は、大きな四角い鉄のお鍋でつくった煮物を、何日もかけて4人で食べました。なんだかものすごい味だったことは今でも忘れません。毎週日曜日の朝には木村としろうじんじんさんが、野点の準備をしていました。リビングルームに青いラメが散らばって朝陽でキラキラしていて、2階の廊下には黒い羽(じんじんさんが首にまいていたファーの一部)がよく落ちていました。唯一、当時管理人のブッチが椿部屋に出入りしていたので、彼からやんわりとC.A.P.のことを教わったような気がします。その後2000年3月に椿組の仕事は終了しましたが、そのまま居着いてしまった、という感じです。

◎動機
こんなにもたくさんの人が集まってくる所なのだから、さぞおもしろいのだろうな〜と思ったからです。