Y3と私 #24

 

 

 

Y3が、まだ「CAP HOUSE」だった頃。今の駐車場の場所には、別館と呼ばれる大きな建物がありました。そして、本館と別館の間には渡り廊下のようなものがあり、その下の空間にトタン張りの小屋を作って、陶芸の窯を設置していました。

当時は、建物の周りには鬱蒼と植物が生えていて、夏には虫だらけになり、油断すると、ヤブ蚊やアブに刺されまくってしまいます。別館の下からは、とても大きなフジの木が生えていて、その幹は別館のコンクリートを突き破り、その屋上のあたりで可憐な花を咲かせていました。ほんとにラピュタのような感じだったのです。

渡り廊下の窓は開いていて、脚立を使うと、渡り廊下から別館の中に入ることが出来ました。一応、その中には入ってはいけない事になっていたのですが、僕は何回か入ったことがあります。

 

 

渡り廊下の中も、別館の建物の中も、壁や天井が剥がれ落ちていたり、だいぶ傷んでいました。別館の地下というか1階というか、そのあたりは、看護学校の時の名残が残っていて、実験器具やカルテや医療器具などが放置されていました。実習教室のような場所もあり、そこに置いてあった机は、今でも、Clay Studioの陶芸工房で使っています。丸イスが付いている変な机がそうです。また、陶芸工房の鉄製の棚も別館から持ってきたものですし、別館が壊される前に、かなりの什器を本館に運び込みました。昔は、CAPでの活動というのは、大半は力仕事でした。昔の家具は頑丈で、とても重く、運ぶのも一苦労でしたが、イベントのたびに、その重い什器を頻繁に移動させていました。女子も重いものを率先して運んでいて、とても頼もしかったですよ。

建物はボロボロだったけれど、場所を作っていく、ということは、とても楽しいことだったし、自分の好きなように工夫する余地もたくさんありました。今は改築されて、すっかり綺麗な建物になって過ごしやすくなったけれど、そういう創造性は失われてしまったように思います。
でも、「建物」や「場所」としての不思議さや存在感、情緒は無くなってしまったようにも思いますが、何か新しいものを作っていく、より良い事を考えていく、という創造性は、この場所で、ずっと続いてきたように思います。これからが楽しみですね。

別館の2階部分から上は、たぶん、移民訓練をしていた人達の住居というか宿舎になっていた部分だと思います。この部分の住居はとても変わっていて、まるで映画のセットのようでした。フロアの中心は空き地みたいになっていて、きっと、ラジオ体操をしたり、井戸端会議をしたりしていたのではないかなあ。そして、その空き地を取り囲むように、長屋のような家が建てられていて、ほんとに、建物の中に家が建てられている感じでした。

そこは、時間が止まったような空間で、ほんの、ついさっきまで人が住んでいたような気さえしました。それほど、人の気配を感じる場所でした。
長屋の前には牛乳瓶が置かれていたり、三輪車が置かれていたり・・。その長屋のような家の中に入ってみると、畳敷の居間にはチャブ台があり、その上には茶碗や湯のみや新聞がさりげなく置かれていて、隣の部屋には、この家に住んでいる人たちがいるのかと思うくらい。ほんとに、ここで暮らしていた人達の息遣いが聞こえてきそうな、不思議な建物でした。たぶん、グレゴリー・シュナイダーが見たら狂喜乱舞したことと思います。

今のY3である本館にも不思議な部屋がたくさんありました。おそらく風呂場だったであろう部屋や、消毒室と呼ばれていた部屋、器具置き場や、船の置かれていた部屋。炊事室だった場所や食堂だった場所。食堂だった場所を、僕たちはリビングルームとして使っていました。この建物は、ラビリンスのようでもあり、パラダイスのようでもあり、異界への入り口のようでもありました。
たぶん、その入り口は、今も開いているように思うのです。

上村亮太