Y3と私 #30

 

 

 

2009年春。Q2からY3への引越し準備が始まります。まず不要なものをガレージセールで整理して、それからは毎日力仕事ばかり。また壮絶な引越し作業になりました。

 

なんとか引越しを終えて、それぞれのスタジオにも入居して、早速、講堂を使ってお披露目のパーティーです。

真新しい講堂に机を並べて、盛大なパーティーになりました。建物が開館した当初は、一階のリビングルームも仕切りがなく、とても広い場所でしたね。今ではパーティションが建てられて展示室になってしまって見えなくなってしまいましたが、古い時代の懐かしい洗面所跡なども残っていましたね。

この一階のリビングで展示やパフォーマンスなどもしていました。

 

これは、その年の林間学校の様子ですね。この時も一階で皆で食事をしましたね。この時から「丸ごと1日」のプログラムが始まりました。

 

 

そして翌年には「アート・マーケット」を行いました。東野さんや、相原さんもいましたね。懐かしいなあ。お二人とは、もう会えなくなってしまいましたが、いろいろなことを勉強させていただきました。

 

相原さんのアトリエです。日本のアニメの草分け的存在だった相原さん。ずっとアニメーションが流されていました。素敵なアニメーションだったなあ。北海道パラダイス計画。行ってみたかったなあ。

 

 

そして、当時の僕のスタジオです。僕がスタジオ・アーティストだった2002年から2012年まで、「オープンスタジオ」という名前の催しは、一度も行いませんでした。CAP HOUSEもY3も「公開スタジオ」というプロジェクトだし、あの頃は、よく、各自、スタジオで展覧会したりレクチャーをしたりしていました。また、皆で一緒にやることとして、年に一度、一日か二日間、「アート・フェア」」「アート・マーケット」という催しを行っていました。アーティストが社会と関わるということ、アーティストが自立する、ということはどういう事か、ということを考えて開催していました。いろいろな人がスタジオに来られて、アーティストと話をしたり作品を購入したり・・。この時に初めて作品を購入する、という体験をする人も多く、良い催しだったように思います。

僕は2012年度でスタジオを出ますが、その後、2013年度から「春のオープンスタジオ」という催しをすることになり、それぞれ、スタジオアーティストの人達がいろいろな工夫をしながら、今まで続いています。いづれも、皆でスタジオにいるようにして、トークをしたりツアーをしたり展示をしたり、和やかで楽しいものだったと思います。

 

 

それから、一階ではカフェ・スペースも出来て、鳴海さんがマスターでした。ここは皆の憩いの場であり、息抜きの場でもありました。鳴海さんは電子関係に詳しかったので、パソコンやネットの不具合などの相談もよくしましたね。鳴海さんは、面倒見の良い兄貴的存在で、無くてはならない場所でした。また、こういうカフェ・スペースのようなものを作れたらいいですね。

今度、Y3では「私と私たち」という展覧会をやることもあり、ちょっと昔の事を、駆け足で振り返ってみました。この展覧会は、大忘年会と大新年会があり、大忘年会には昔のCAPメンバー達が集まったり、新年会には、身近な人達、新しい仲間達が集まり、これからに向けての出発を祝う機会になればと思っています。皆さんも、是非、お越しくださいね。

 

久しぶりに昔のことを振り返ってみて、忘れていた事もたくさん思い出しました。昔から今まで、ここは「あたたかい現場」だったなあ、と思います。

今まで、C.A.Pは皆んなで力を合わせて、一人では出来ないような、いろいろなことをやってきましたが、でも、ことさら、「皆で一緒にやろう」と思わなくてもいいような気がしています。

それぞれの個人が、普通に、やりたい事をやってみるなかで、自然に、いろいろな事が始まるように思いますし、そういう気軽な感じで良いように思います。

あまり気張らずに、のんびりと続けていっていただけたらなあ、と、思っています。

上村亮太 11/29