2012年2月24日

2/19(日)「ビブリオテーク208.ext」第9回 レポート


去る2月19日(日)に開催された「ビブリオテーク208.ext~移動美術資料室がCAPにやって来る!」、第9回の模様についてのレポートです(藤墳智史)。

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昨年5月に始まったビブリオテークも今回で9回目。残すところ今回を含めて、あと2回となりました。作品のみに着目した狭義の美術にとどまらず、これまで絵葉書や雑誌など、様々な資料を取り上げ、そこにある美術のシーンを参加者のみなさんと一緒に解き明かしてきました。今回のテーマは「神戸博覧会」。とは言っても、比較的最近で広く知られている1981年の「ポートピア81(神戸ポートアイランド博覧会)」のことではなく、1950年に開催された「日本貿易産業博覧会(神戸博覧会)」が取り上げられました。この1950年の神戸博は、王子会場(現在の王子動物園のある場所)と湊川会場(湊川公園)の2カ所を会場にして行われ、王子会場がメインの会場となっていました。また、神戸博の特筆すべきところは、貿易が中心的なスローガンとして掲げられるのと同時に、博覧会としてのシナリオを設定し(「資源」・「世界」・「生産」・「通商」・「文化」という5つのテーマ)、それらにしたがって会場が構成され、さらには順路まで案内されていたという点です。このような、シナリオを前面に押し出して、それにしたがってパビリオンを作っていくということを目論んだ博覧会は、日本では神戸博が初めてだったようです。

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また、神戸博が中心に据えながらも、今回は神戸で開催されてきた多くの博覧会や、同時期の博覧会にも目を配ることになりました。1837(明治30)年の「第2回水産博覧会」に始まり、1925(大正14)年の「日本絹業博覧会」や1930年の「観艦式海港博覧会」など、神戸は多くの博覧会の舞台となり(その多くが貿易や港湾、艦船がテーマとしていたようですが)、湊川公園や王子公園(関西学院跡)はそれらの会場としても開催の実績を既に持っていました。

また、同時期という点に着目すれば、神戸博の前年の1949年には横浜で貿易をスローガンとした「日本貿易博覧会」が開催され、また神戸博とほぼ会期が重なる形で、神戸の近傍の西宮(西宮球場近辺)では「アメリカ博覧会」が開催されていました。戦後の「復興」の中で、貿易に日本の経済的な活路が見出され、豊かなアメリカの社会や文化が憧れの対象にもなっていました。そんな時期に開催されたのが、この神戸博だったわけです。片やシナリオを設定し、会場の構成もそれに基づいた形で行われた初めての博覧会であった神戸博。一方で、かつての戦争の敵国でもあり、同時に巨大な経済力を持ち、既に豊かな社会を形成していると見られていた「アメリカ」を前面に押し出したアメリカ博。同時期に行われているということもあって、この2つの博覧会は見後にその成否を分けることになりました。

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朝日新聞が主催で行われ(ポスターの製作は川西英)、アメリカの消費生活や巨大な都市のジオラマ(シカゴ)を展示するなど、徹底的に人々のアメリカへの憧れをくすぐったアメリカ博はテーマの重要性はともかくとして、興行的には大成功を収めたそうです。対する神戸博は巨額の赤字を抱えて終了し、新聞でもその問題が大きく取り上げられるほどでした。アメリカ博が現在でも人々の記憶に鮮明に残っているのに対して、神戸博は存在すらも忘れられていることが多いようです。

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しかし、シナリオを設定した初めての博覧会であったという先進性、新制作派をはじめとする多くの芸術家たちが関与したという点では、神戸博の重要性を無視することはできません。この点で名前が挙がってくるのが、神戸博のシナリオメーカーであった小池新二(1901‐1981年)の存在です。当時千葉大学で教授を務めていた小池は、前年の横浜博にも少し関与した後、この神戸博に深く関与することになりました。これは新制作協会とのつながりがあったためのようで、実際に神戸博でも新制作協会のに所属する作家や建築家たちが活躍することになります。デザイン評論の第1人者であり、『建築文化』などで海外の最新のデザインの動向やインダストリアル・デザインの概念を紹介していた小池。彼は皇紀2600年の博覧会など、当時の博覧会のあり方に対して鋭い批判を行ってきた人物でもありました。祭りの延長のようで「博覧会屋」に頼り切った展示内容。明確なテーマや順路すらなく、野暮な空間。視覚的なデザインを重要視する小池が神戸博に関与するにあたって、シナリオを前面に押し出そうとするのは当然のことだったのかもしれません。

さて、前述したようにシナリオに沿って「資源」・「世界」・「生産」・「通商」・「文化」という5つの小テーマが設けられ、それぞれの小テーマごとにパビリオンが形成され、会場が構成されていった神戸博。ここで少しシナリオを追ってみることにしましょう。

・「序曲」では、原爆をきっかけにした戦争の終結という見方が示され、戦後の「国土」を見せながら「日本の姿」を確立していきます。その日本の姿に対して、経済の復興、国家の興隆という問題が掲げられます。
・「資源」では、「国土」と「国民」の現状の紹介から始まり、産業の動向や観光資源までが扱われました。
・「世界」では、「権利」の紹介、世界各国の紹介が行われたそうです。
・「生産」は、小池が最も重視したテーマとされているところです。生産と製品が紹介されるとともに、インダストリアル・デザインが大々的に紹介されていきます。作る側と使う側をつなぐ、「欠けている技術者」(ジョン・グローグ)として、インダストリアル・デザインが位置づけられていたようです。
・「通商」では、貿易立国としてのあり方が示され、交通や宣伝、コマーシャルの技術が紹介され、観光も貿易として位置づけられました。
・「文化」では、様々なイベントや作品の展示が行われたそうです。

このように、各テーマと展示の様子を簡単に紹介してみましたが、実際の展示の内容や質は、決して思わしいものではなかったようです。新制作協会が関わっているとは言っても、シナリオに従って動いているというよりも、作家たちの作品が単発で登場しているということが多く、シナリオに従ったものを展示として見せるというところまでは至っていなかったようです。シナリオ大々的に掲げられているものの、それをビジュアルにする、会場の構成にしっかり反映させる「アート・ディレクター」がいなかかったのが、結果的に現場の雑さ、まとまりのなさにつながってしまったようです。同時期に新聞社主催のアメリカ博があり、内容的にもまじめなものと見られていた神戸博。学校教育向けには良いという反響もあったようですが、おおむねは不評を示す感想が多かったようです。結局大きな赤字を残した神戸博。その跡地は王子動物園の園地へと転用されることになります。

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赤字の原因としては入場者が振るわなかったほかに、会場の建設に苦労したということもあったようです。当時はまだ物資にも事欠く状況で、博覧会に用いる建材を確保するのも一苦労だったようです。また、王子公園や湊川公園周辺は、まだ空襲で焼け出された人や引き上げ者のバラックが立ち並んでいる状況だったようで、会場の造成に際して、そうした人たちが立ち退きを余儀なくされるということもあったようです(平井正治『無縁声声』、藤原書店)。そして、博覧会が終わり、赤字の問題が報じられた同じ新聞の紙面には、朝鮮戦争の勃発を報じる記事を見ることができます。日本の近くでの戦争の勃発と、東西冷戦体制の確立。このことは「特需」という形で、日本に経済的な恩恵をもたらすことになります。失敗に終わった神戸博が掲げていた「貿易立国」は、博覧会が終わって即座に、戦争の災禍を代償に現実のものとなったわけです。アメリカ博はもとより、比較的近年の「ポートピア81」の印象が神戸にとっては鮮烈なこともあって、1950年の神戸博は多くの博覧会の中に埋もれている存在であるように思います。しかし、神戸博に関わっていた宮崎辰雄は後に市長として「ポートピア81」に関わっていきます。あるいは、シナリオやテーマを明確に設定した初めての博覧会だったという点は、これ以降の博覧会が掲げるテーマや博覧会の内容自体の変化、万博の成功、そしてポートピアに始まる「地方博」の時代が始まるという長期的な視点の中で重要視せざるをないように思われます。

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今回のビブリオテークでは、参加者の方からも博覧会にまつわる資料を持ち込んでいただく場面もあり、上記のものだけでなく、様々な博覧会に目を配る機会となりました。毎年のようにどこかで行われている博覧会。その後の都市のあり方を変化させたり、芸術家や建築家など、様々な人たちの参加の場になっていたり、多くの側面を持っています。「地方博の時代」と言われなくなって久しい今、もう少し博覧会について、その意義を考えていく必要があるのかもしれません。


次回はビブリオテークもいよいよ最終回。「エフェメラ」が取り上げられます。次回は多岐にわたる紙史料にお目にかかれそうですが、果たしてどんな面白い側面を見せてくれるのか、楽しみですね。
kono 01Y3日記
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