2013年5月24日

6月のcapture 透明な奥のほうへ誘われて

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透明な奥のほうへ誘われて

「透明な奥のほう」というタイトルでGALLERY wks.の片山和彦さんとC.A.P.の4人のアーティストが展覧会の企画を組みました。
「透明な奥のほう」ってなんなのでしょう?
参加作家の淺野夕紀さんに話してもらいました。

■4人展のはじまり
昨年のちょうど今頃だったと思います。
「僕と、桜井君と田岡君と淺野さんの4名で展覧会をやりたいと思っています。」
上村亮太さんから一通のメールが届きました。私自身、この頃C.A.P.で活動を始めてから半年程経ち、Y3のギャラリーで個展を開催し一段落したところでした。  
上村さんの隠れファンである私は、ノスタルジックでどことなく寂しい、だけど、心の隙き間にじんわりと浸透してくる不思議な温もりを持つ上村さんの作品がずっと好きでした。ご本人と作品についてじっくりお話してみたいと思っていたので、展覧会のお誘いをいただいた時はとても嬉しかったです。   
また、他のお二人に関しても、大学時代の先輩である桜井さんは、寡黙な人柄とは対照的に、とても衝動的で力強いアクションペインティングを描く姿に学生の頃から憧れていましたし、色とりどりの線でエネルギッシュ且つ軽やかに描き続ける田岡さんの事も興味深く感じていました。同じ平面作家として、どこか特別な存在に感じていた3名の作家と、これから1つの展覧会を共に作り上げていくという事への期待は大きく、胸が踊りました。

■信憑性...
最初の顔合わせで上村さんが「3人の作品に信憑性がある―」と仰いました。私はこの言葉が未だ解釈できていないと思います。とても重みがあり本質を突くようなドキッとさせられる言葉です。これまで作品について鑑賞者から様々な感想をいただいてきましたが、「信憑性」と言われたことは初めてです。今は何となくですが、チラシに書かれている上村さんの「私たちにとって展覧会は、ささやかで、実はとても普通な感じです」という意味と繋がっているのではと考えています。私にとって作品は、寝食を共にするような、とても身近な存在であり、たまに喧嘩したり、一緒に喜んだり― そうやって互いを知っていく、ごくごく自然な存在なのだと思います。特に背伸びすることなく日々向き合い、それが時々展覧会を通して人々と出会う。そういう当たり前の物事から、日々作られているものに信憑性が生まれるのかも...と微かに感じています。少しずつ時間をかけて大切にこの言葉の意味を理解していきたいと思います。

■「透明な奥のほう」
3回目のミーティングだったでしょうか。桜井さんが展覧会名の候補をノートに5つ程書いてくださっていて、その中にこのタイトルがあり、満場一致で即決でした。以前読んだ画集の中に「美術家が作品を生み出すということ、それは幽霊を見るような感覚に似ているのかもしれない」と書いてありました。私たちは制作している時、何も無いところから想像し形を表出させます。また、時間の層に描き重ね、具現化していくと言っても良いかもしれません。この「何も無いところ」や「時間の層」が幽霊、つまり本展で言う透明な部分なのだと思っています。私たちは、その透明な奥の方へ形を求めたり、或は形の方から浮かび上がってきたり、そういう現象を日常で繰り返し、描き続けているのだと思います。

■2つを結ぶ
最後に、本展は大阪と神戸での同時開催となります。お越しくださるみなさまにも「見る」という立場から2カ所を結んで一つの展覧会にしていただき、また結ぶ道中の景色や電車の中等で展覧会を紐解いていただきたいと思っています。作る人、見る人、作ること、見ること、どれもアートには欠かせないものです。「透明な奥のほう」をそれぞれの視点から観察し、互いに響き合える、そんな魅力的な場になれば嬉しいです。
(参加アーティスト 淺野夕紀)
鳴海健二 01Y3日記01Y3日記
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