2014年6月 6日

【トモコの部屋】6月のゲスト:永井秀憲(財団法人理事長)

C.A.P.は今年20年目。代表の杉山知子が毎月ゲストをお招きして、これまでの活動を振り返ります。

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6月のゲスト:永井秀憲(公益財団法人神戸市民文化振興財団 理事長)

神戸市の公務員として文化事業に携わってきた永井秀憲さん。行政と連携をもちながら活動してきたC.A.P.は、節目節目で、永井さんの協力を得ました。神戸市とのつながりとは?

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永井秀憲 Hidenori Nagai
1952年丹波市に生まれる。神戸外国語大学卒業後、神戸市役所勤務。民生局、市民局、企画調整局、保険福祉局を経て、市民参画推進局長、2011年教育長に。現在、神戸市民文化振興財団理事長。



■おつきあいの始まり
杉山 永井さんは現在、神戸市民文化振興財団の理事長をなさっていますが、これまで神戸市のいろいろな部署で働いてこられて、C.A.P.が行政と一緒に活動してきたさまざまなシーンでお世話になりました。今回は、C.A.P.と神戸市とのつながりについてお話ができたらと思っています。実は神戸市とのおつきあいの始まりが、C.A.P.が誕生するきっかけだったんです。
永井 1993年くらいでしたかね。
杉山 市長懇談会というのに呼ばれました。その時私が、都市の中に森をつくろうという提案をしたのがきっかけで、その後マスタープランの審議会に呼ばれたんです。環境部の部会だったんですが、アーティストだから環境より文化に興味があって、文化部の傍聴席に行って、発言してました。
永井 だめですよ、あんなことしたら。本当は委員しかしゃべったらいかんのです。傍聴者は委員長に許可をとって、オッケーがでて初めてしゃべることができるんです。
杉山 ええっ、そうだったんですか!?
永井 そうですよ。それをね、「ちょっと意見があるんですよ」って発言して。えらい人がおるなあ、そやけど、おもしろい人やと思いました。
杉山 知りませんでした......。文化部の審議会に行ったら、集まっているのは大学の先生とか、美術に実際に携わっている人がいなくて、内容は、西神中央のほか、各区に美術館を建てるとか、アカデミー賞的な賞をあげるとか、芸術家村をどこかにつくるとか。こんなのいらない!って出かけていって、これはおかしい!って発言していたんですが、それが間違いだったんですね。
永井 まあ、そういう本音を言うてくれる人はなかなかいないんですよ。役所は役所の論理というのがあって、組織の中では守らなならんことがある。そやけど、相手の言う方が正しいなということもある。杉山さんもそうですわ。役所の喜ぶようなことを言う委員ばっかりだと、神戸市がおかしなことになってしまう。
杉山 美術から程遠い先生方が、芸術にとって何が必要かという話をしていて、あれ、おかしいなと。委員になったから声が出せると思って、私だけじゃなくて、まわりのアーティストにも声をかけて集まったのがC.A.P.の始まりでした。ですから、神戸市のマスタープランがあって審議会に呼んでもらったことは、自分にとって大切なことだったと思っています。


■本音を言う人が必要
杉山 お会いした当時、震災の前で、神戸市は美術館などの計画をいくつも立てていました。
永井 六甲山をくり貫いて、ザルツブルクの劇場みたいな音楽ホールを建てるとかね。岩盤くり貫いたら、中に雫が落ちるでしょ、防水工事など、莫大な予算が必要でした。オーストラリアの海岸沿いにあるオペラホールみたいな建物の方が、まだ安くでできる。
杉山 そんなのがあっても全然うれしくない。
永井 だから、そういう本音を言う人が必要なんです。
杉山 それで、「これからの美術館」という提案書を作成して、永井さんから担当者につないでいただきました。その年に震災があって、その後、NPOとして、行政とパートナーシップをもちながら活動していくことになりました。震災復興記念事業の時は永井さんが部長さんでしたね。
永井 まだ復興もできていないのに、何が復興記念事業やと思いましたけどねえ......。その前まで広聴課長で、市民の意見を聴いていましたから。あの時は辛かったです。
杉山 六甲山のホールや、美術館の計画を立てていた市役所の方も、東灘区に応援に行っておられました。私のアトリエが市役所から近いこともあって、ある日、ぼろぼろの帰還兵みたいな感じで、訪ねてこられたことがあったんです。その時、私は家の絵*1を描いていました。「僕は家壊してんのに、あんた家建ててんの?」と。そんな会話ができる関係になっていたから、その後も深いつきあいができたんだと思います。単なる役所と市民の関係だけじゃなくて、お互いにわかりあえることを感じていました。


■もっと意見を言うたらええ
永井 震災があって、仕事のことを学びましたね。広聴課は声を待っとったらあかん、話を聴きに行かなあかん、相手は言いにこれる状況ではなかったんです。
杉山 確かにC.A.P.も地震の前に動きだしたけれど、地震で変わりました。普通の論理ではできないけど、普通の状態ではないからできる。役所の人も、ただ話を聞くだけじゃなくて、「じゃあやってください、一緒にやりましょう」と言ってくれた。その波に乗ってこれたんです。99年にCAP HOUSE*2をスタートして、その後、復興記念事業の一環として、映像イベント「居留地映画館」をC.A.P.が企画して運営し、その事務局を移住センターに置くことでCAP HOUSEを延長して利用できるようになった。そして神戸市とのつながりが生まれて、8年間続けられた。うまくチャンスをつなぐことができました。
永井 それまでは、役所に要求を押しつけてくる人ばかりでした。C.A.P.はそこが違いました。「復旧復興は役人だけではできないでしょう」「一緒にやれたらやってください」、そういう市民に会えたら、ほっとするんです。C.A.P.と出会って、市役所もちゃんとやらなあかんな、という気持ちになりました。
杉山 「お互いがんばりましょうよ、できるところと、できないところがあるから、ここは私たちがします、ここは神戸市がやってください」と、よいパートナーシップがつくれてきたと、思っています。
永井 震災後、神戸市は財政的な制約や問題を多くかかえています。
杉山 でも、震災で目が覚めた。あんな音楽ホールや美術館ができなくてよかった。借金も多いし大変だけれど、震災のおかげで、神戸は時代を先読みでき、時代の先端を走ってきた気がします。C.A.P.の、美術館でもギャラリーでもない場所をつくったのもどこよりも早いアクションだったし、行政と一緒にやることも、他所ではできていなかった。世間はバブルの雰囲気が残っていたけれど、神戸だったから、地に足がついた活動ができたと思っています。
永井 移民資料室も、予算がないという理由もありましたが、C.A.P.には自分たちで使いたい使い方の青写真をきちっと出していただいた。神戸市は建物の1階に移民資料室を開設し、あとの部分はC.A.P.の活動ができるようにして、資料室の管理も任せた。そこでお互い生き合う、これも震災が教えてくれた人と人との絆だと思う。神戸市とC.A.P.との信頼関係やね。
杉山 でも、そんな関係も薄らいでいます。仕方がないのかもしれません。20年経つと役所も新しい人が多くなり、C.A.P.も場所ができてから入ってきたアーティストがほとんど。一緒につくりあげるとか、交渉するとかしなくても、場が与えられていますから。
永井 だったら、もっと本音で意見を言うたらええ。あなたは文句を言うのが得意やねんから。

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■変えなあかん
杉山 こちらも変わっていかないといけないでしょうね。ところで今、永井さんは神戸文化ホール*3にいらっしゃいますので、文化ホールにも注目ですね。
永井 いまは音楽中心ですが、美術もやろうとしています。神戸ビエンナーレ*4を「私たちの財団で担当したらどうか?」という意見も出ています。
杉山 やめましょ。神戸ビエンナーレは初めから考え直した方がいい。世間では、文化だアートだと言いすぎです。重みがなくて軽すぎる。もともとC.A.P.は、日常的にアートをという思いで活動していますが、そんなに簡単なものではないと思っています。
永井 いろんな意見が出ているので、まとめきれない状況でもあります。
杉山 それぞれにまかせばいい、まとめなくていい。それぞれががんばればいいことで、それぞれにスポットライトを当てればいいんです。
永井 アウトリーチもして、ネットワークを結んだらいいと思いますね。うちはそれをお手伝いする。
杉山 ばらばらでいい。それをうまくつないで、自分たちで発信していくシステムさえつくればいい。永井さん、また、情報交換などをしていきましょう。何か変わるのではないかと期待しています。
永井 それでは変わらへんよ。変えなあかん。遠慮してたらあきません。
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2014年4月2日
CAP STUDIO Y3にて収録
(写真左端は下田展久C.A.P.事務局長。窓の外は満開のサクラ)




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杉山知子 Tomoko Sugiyama
1958年神戸市に生まれる。1984年京都市立芸術大学修士課程修了。1981年より京阪神をはじめとして各地で個展、グループ展を開催。

*1
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《たった1000軒のいえ》杉山知子1995年より。下は「アートシーン 90-96 水戸芸術館が目撃した現代美術」水戸芸術館 現代美術ギャラリー 1996年11月30日~1997年1月19日の展示。

*2
1928年、国立海外移民収容所として建設され、その後、神戸移住センターという名称に。神戸市立准看護学校や海洋気象台仮庁舎などとして使われた後、使用されなくなっていた「旧神戸移住センター」で、C.A.P.は1999年11月3日より「CAP HOUSE-190日間の芸術的実験」を行う。C.A.P.は2002年春より神戸市から委託を受け、建物の管理、海外移住者の資料展示を行うとともに、アートを軸とした交流の場としてCAP HOUSEプロジェクトを開始。2008年に建物の改修工事が始まるのを機に、2007年12月26日にプロジェクトを終了した。
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1999年11月3日CAP HOUSEスタート。「100人大掃除」を終了しての記念写真

*3
地下鉄大倉山駅からすぐにあり、高村智恵子の紙絵「あじさい」のタイル壁画が目を引く。音楽を中心とした大ホールと演劇を中心とした中ホールがある。自主公演のほか、発表会など貸館としての機能も果たす。神戸文化ホールHP

*4
2007年よりスタートした2年に1度の芸術文化の祭典。2013年度の組織委員会の会長は複数名で、神戸芸術文化会議**議長、神戸市長、神戸商工会議所会頭、神戸大学学長。組織委員は神戸市内の大手企業のCEOら35名から成る。企画委員長は神戸芸術工科大学学長。ディレクターには25名が名を連ねる。総合プロデューサーは華道家の吉田泰巳氏。
**神戸芸術文化会議(略称:こうべ芸文)は、芸術文化に携わる者が互いに協力して、神戸の芸術文化のより一層の高揚をはかるために、1973年8月に設立された総合芸術文化団体。会員数は約710名。神戸市市民参画推進局文化交流部内に事務局がある。

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